【日韓】 韓国を愛した日本人父子が異国、韓国に葬られるまで[12/11]at NEWS4PLUS
【日韓】 韓国を愛した日本人父子が異国、韓国に葬られるまで[12/11] - 暇つぶし2ch1:蚯蚓φ ★
06/12/12 00:31:14

写真:URLリンク(www.donga.com)

京畿道楊州市三星公園墓地には目立つ墓がある。父親の中村利雄さん(2004年死亡)と息子の中村章也
(1972年死亡)さん。日本人父子が海を渡って異国に葬られた事情は何だろう?

●息子の韓国愛
「飛行機で見下ろした韓国は他人の国ではなかったです。覚えていない幼いころの昔の故郷にまた帰
って来たようです。」(1968年章也さんの手紙)時間は1970年代にさかのぼる。章也さんは韓国文化を
愛した珍しい日本青年だった。天理大学韓国語科出身である彼は「韓国の歌劇研究」を卒論で出した
程、韓国伝統文化に関心が高かった。1968年韓国留学を決心して延世大国文学の修士課程に入学した。
「韓国が良いです。韓国文化を勉強して永遠に韓国で住みたいです。」当時章也さんが家族たちによ
く話した言葉だ。

修士課程を終えた後、彼は韓国国際大学日本文学講師として働くようになり、初めから韓国に住む決
心をするようになる。愛が深ければ嫉妬も大きくなるせいだろうか?1972年2月1日、暴雨が降った日、
大阪に向かう高速道路で彼は交通事故で死ぬ。韓国で住むという夢をつかむことができなかったまま
…。二十九才で…。一緒に韓国に住む事にした妻と結婚してから70日、講義のために韓国へ来る一週
間前だった。

●お父さんの韓国愛
息子から「永遠に韓国で住む」という言葉をよく聞いた父親の利雄さんに息子の死は耐え難いショッ
クだった。傷心の日々を過ごした利雄さんは1973年、息子の遺骸を韓国に埋めなくちゃいけないと決
心した。家族は「当時のお父さんは'息子が日本人だから、墓に使う土地がなければ漢江にでも遺骸を
撤いて来る'と言った」と明らかにした。ちょうど国際大学側は若死にした章也さんの代わりとして父
親に講義を頼み、早稲田大学で日本文学を専攻した利雄さんはこれを受諾した。息子の遺骨をソウル
近郊に埋めた。90年代初めに死亡した妻も息子のそばに埋めた。息子の代わりの生活は2000年まで続
いた。

1910年生まれである利雄さんは2000年、日本に帰った後も一人で韓国を往き来した。彼は2004年12月
世を去って「死ねば骨の一部を韓国にいる息子のそばに埋めてくれ」という遺言を残し、今年の6月結
局息子のそばに横たわった。30年間あまり続いて来た父子の「韓国愛」はこんなふうにして幕を閉じ
た。

ソース:東亜日報(韓国語)日本人父子が異国韓国に葬られた事情
URLリンク(www.donga.com)



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