06/12/07 23:54:54
「鎧(よろい)と馬鎧は古朝鮮と高句麗が元祖だ。」
古代韓民族の武具が北方民族や中国から由来したのではなく、むしろ私たちの物が中国に
影響を与えたという学説が申し立てられた。
パク・ソンフィ祥明(サンミョン)大教授は8日、報道人会館で開かれた「古代にも韓流が
あった」という主題で開かれた学術大会でこのような内容の論文「古代韓国鎧の源流と東
アジアに及ぼした影響」を発表した。
論文を見れば、古朝鮮の領域にあった粛慎(しゅくしん)で骨鎧を作ったという記録があ
る(陳寿東夷列伝粛慎氏族)(訳注:詳細不明。東夷伝には粛慎伝はない。ゆう婁(ろう)
伝に「昔の粛慎国である」とあり、東夷伝の頃には粛慎はなかった。なお、ゆう婁伝には
弓の記録はあるが、鎧の記録はない)。また古朝鮮領土である大牧丹屯、虎谷、黒竜江省
キョンファ遺跡などで将兵型骨甲皮が出土して韓民族の骨鎧生産時期は新石器時代後期ま
で遡及されている。
これに比べて中国側は記録がないのみならず、紀元前1300年頃に造成された商王朝の王室
墓から出土されたものが一番早い時期だ。それも革の鎧だ。王室の墓だけで発見された点
と革の鎧の形態が古朝鮮の鎧の長方形である点から古朝鮮の影響を受けたと推定する。
特に皮鎧のチャンジュル(?)文様と雲紋は古朝鮮領土から出土される遺物の文様と一致
する。鉄甲も古朝鮮の物が中国よりずっと先立って中国に影響を与えたと見られる。
平壌市楽浪区域貞栢洞1号墓出土鉄甲は長方形の鉄片を魚鱗のように編んだことで紀元前三
世紀、古朝鮮後期に鉄甲が生産されたと見られる。これに反して中国は春秋時代まで鉄甲
を作ることができなかった。陜西省から出土した秦の武士は皆皮鎧を着ている。
前漢初期に至って鉄甲が普及し始めたが、それさえも古朝鮮の物が甲板を鉄索で連結した
のに比べて紐革や絹紐で連結する形態だった。高句麗の兵士と馬は皆鉄甲をして戦闘した。
(中略)
パク・ソンフィ教授は私たちの服飾学界がまだ中国と北方服飾影響論を広げており、放送
ドラマにもそのまま反映されてこのドラマが中国に放映される場合、意図せず東北工程に
貢献する可能性があると言った。
ソース:ハンギョレ新聞(韓国語)「鎧は古朝鮮と高句麗が元祖」
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