06/12/07 14:22:27
■基調 野中広務元官房長官 歴史を鏡に歩もう 「参政権」の停滞は遺憾
1925年に生まれ、日本が太平洋戦争に入っていく時代に少年期、青年期を過ごした。
わずか半年間だが軍人として戦争に参加し、生きて帰ってきて81歳の今日まで命をいただいてきた。
生まれたのは京都の園部という町で、自宅から300㍍離れた山の裏にあった陸軍造兵廠では、
朝鮮半島から連行してきた人たちを主体に兵器をつくっていた。それを青年の頃から目にしてきた。
宿営地から作業所までの道のりで、重い荷物を背負わされた朝鮮人が日本人から鞭打たれ、
血を流しているのを見た。「なんてひどいことをするのだろう」と思った。
隣町のマンガン採掘所にも連行された朝鮮人が劣悪な条件で働かされていた。
妹は朝鮮から来た娘さんに子守をされて育った。
そういう環境で育ったから朝鮮半島全体に対して関心と親近感を持った。
そして連行して来た人に屈辱的な待遇をした歴史をこの目で見た。そういう歴史をおろそかにしてはいけない。
古い歴史を語ることが私に残された仕事だ。過去の歴史を鏡にしてわれわれは歩んでいかなければならない。
民族が犯した大きな犯罪はしっかり贖罪のつもりで消してゆき、
互いの友好親善関係をつくっていかなければ日本に未来はないと思う。
竹下総理が日韓議連の会長を務めている時代に、
韓国の国会議員が在日韓国人に地方参政権を与えるべきだと提起した。
議連の会合で互いに確認書を結んでそれぞれの会長と幹事長が署名し、
両国で参政権を実現するということになった。いまだに参政権が実現しないことに対して、
在日の皆さんには申し訳なく思う。公明党との連立の政策の柱に地方参政権の実現を入れているのに、
もう遠いかなたの話のようになった。
この問題を真剣に考える政治家が出てこないこと、
私たちに信頼を寄せて韓国で地方参政権法案を通してくれた国会議員、韓国国民に申し訳ないと思う。
安倍総理が誕生してようやく閉ざされた数年間の冷たい日中、日韓関係が雪解けを迎えた。
最初の訪問国に中国と韓国を選んだことに大きな感銘を受けた。アジアの新しい友好に一石を投じた。
しかし、閣僚や党幹部の中に総理を補佐しているのかどうかわからない、
日本の歴史を逆戻りさせるのではと思わせる側近がいる。
アジアの皆さんが手をつないでいってこそ日本の未来がある。
米軍の再編で座間にワシントンにある米陸軍第一司令部がやってくる。自衛隊の司令部がそこによってくる。
かつて日本が中国大陸を侵そうとしたとき、朝鮮半島の上に満州国というのをつくった。
東京にあった関東軍の司令部を満州国につくった。その歴史とオーバーラップする。
それを日本が3兆円も出して「再編」の名で行う。自殺者や失業者やホームレスなど、
深刻な問題が出ているのに、日本のメディアは日本全体を違った方向に持っていく。
ナショナリズムを台頭させるような怖さが日本にはあると心配している。
写真:
URLリンク(www.mindan.org)
ソース:(2006.12.6 民団新聞)
URLリンク(mindan.org)
関連スレ:
加藤紘一衆議院議員、市民公開講座「在日から見える社会」に参加…地方参政権、創始改名等について意見 [12/06]
スレリンク(news4plus板)