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朝鮮通信使をよみなおす 「鎖国」史観を越えて [著]仲尾宏
[掲載]2006年12月03日 [評者]柄谷行人(評論家)
■愚かしい反復を免れるために
近年、日本と中国や韓国・北朝鮮との関係が緊迫してきている。これをたんに「戦前の回帰」として
見るのは不十分である。たしかにそれは歴史的な反復ではあるが、そのような反復は以前からもあり、
もっと根深いものだ。本書は、「朝鮮通信使」の史実を、東アジアに存する反復的な構造を見すえつつ
読みなおすものである。
東アジアには、中国を中心にする冊封体制という「華夷秩序」が存在した。その中で、日本と朝鮮は、
中国との関係において同格の位置にあった。それを覆したのが、豊臣秀吉の朝鮮侵略である。むろん、
それは失敗しただけでなく、国内でも没落する結果に終わった。しかし、豊臣側から権力を奪った徳川家康
は以後、甚大な被害を与えた朝鮮との関係を修復せねばならなかった。それは、中国との貿易を再開する
ために、つまり日本が東アジアの政治・経済システムに復帰するために、不可欠だったのである。
徳川側の「反省」はあいまいなものであったが、李朝側はそれを受け入れた。東アジアの秩序の再建と
平和を優先したのだ。その結果、朝鮮側から「通信使」を送るという慣例が成立した。これはたんに外交儀礼
の問題ではなかった。十二度にわたり、毎回五百人に及ぶ、朝鮮の一流の学者、医者、芸術家などが来日した
からである。日本側も同じレベルの人たちが関与した。したがって、江戸日本の儒学、医学、文学、美術その
他を考えるには、朝鮮通信使の研究が不可欠である。本書はそれを多様な観点から示している。
徳川幕府が朝鮮に対してとった政策は、明治時代には、秀吉の侵略を「朝鮮征伐」として礼賛する声に
よって否認された。その結果が東アジア諸国への帝国主義的侵略であった。そこから再出発した戦後日本の
政策は、ある意味で徳川の政策に似ている。ところが、現在は、明治以後の日本のやり方を正当化する声が
高まっている。これは愚かしい反復である。これを免れるためには、東アジア諸国の関係構造を粘り強く組み
変えていくほかない。
なかお・ひろし 36年生まれ。京都造形芸術大客員教授。前近代日朝関係史専攻。
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