06/11/14 11:31:04
【日帝殖民統治に順応した個人の、日常の虚栄と欲望をどの様に見るか】
(写真)
URLリンク(imgnews.naver.com)
10,11日、高麗大学の仁村紀念館で開催された『歴史問題研究所の創立20周年記念学術大会~植民地近代
を暮す』で、発表者達は『教育』・『就業』というテーマを通じ、植民地を背景に生きた個人の日頃の欲望が、
どのように日帝の殖民統治と結合していたのかを追跡した。
○『経済的欲望の追求を通じた協力』
国史編纂委員会のチョン・ビョンウク研究員は、発表文の『朝鮮殖産銀行員、植民地を住む』で、典型的な
ホワイトカラーだった朝鮮殖産銀行員11人の記録を通じて、社会的な成功へ向けた個人の欲望と虚栄心が、
植民地の経済秩序をどのように支えさせていたのか見せた。
「私は少しも怖くない、何故ここにまで来たのか…」
1927年、朝鮮を震撼させた羅錫疇(ナ・ソクチュ)の朝鮮殖産銀行爆弾投てき事件の直後、当時の行員ワン・
チァンオプが残した記録である。ワン・チァンオプにとって民族独立の重要性は自分の経歴管理よりも重要
ではなかった。
そうかと思えば、日帝の無断統治が極まり3・1運動が起きる直前の1918年10月、行員のシン・ギョンジェが
残した日記には、「月給が上がってとても嬉しい…三島銀行長を含めた取締役に、感謝の念を禁じ得ない」
となっている。
回顧録や男性雑誌の寄稿文などに現われた人々の共通点は、「思想よりも就職」、「民族よりも月給」である。
チョン研究員は、「一般的な朝鮮人よりもましな生活をした人々は、『他人とは違う』と言う個人的な虚栄と満足
の為に、民族よりも日本人行員との同質的な紐帯感が更に強かった」と指摘した。
代表的な例が、1945年の敗戦直後に韓国人行員の関与で行われた、日本人指導部の資金流用。これは
独立国家の物的基礎を脆弱にさせた要因として作用した。
行員のチェ・ビョンイルは1945年の春、「敗北が近づいて来ると、英字新聞で英語の勉強する朝鮮の行員達
が居る」と記録した。欲望の対象が敗戦を控えた日本から戦勝国のアメリカに向けられていた。
(>>2以降につづく)
ソース:NAVER/東亜日報(韓国語)
URLリンク(news.naver.com)