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2006年11月06日
国際結婚における問題
結婚式アドバイス結婚できない悩みなし記念日
国際結婚が日本で簡単になったことにより、多くの幸せなカップルが誕生しました。
しかしその反面では、国際結婚がもたらす悲劇も後を絶ちません。
国際結婚は、近年では、約8割が日本人男性と外国人女性の組み合わせです。
99年のデータでは、日本人男性と結婚した外国人女性の32%が中国人で、
以下、フィリピン、韓国・朝鮮、タイ、ブラジルの順番となっています。
また、中国人妻が多い地域は東北地方に、フィリピン人妻の多い地域は岐阜、
鹿児島、大分、高知などに集中しているのです。
国際結婚の増加には、日本における過疎化の問題である農村の嫁不足と、
貧しい国の女性が「人身売買」の形をとり、日本に嫁ぐ「売買婚」との結びつきという
裏の側面があることも忘れてはならないでしょう。
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◆花嫁斡旋批判本誌1989年版収録。以下、
農村の嫁不足問題を解決するため、市町村行政当局が仲介してフィリピン花嫁を
過疎地に連れてくるケースが増えている。1986(昭和61)年の山形県朝日町、
大蔵村を皮切りに、徳島県東祖谷山村、秋田県増田町などにフィリピン花嫁が来て、
話題を呼んだ。ところが、習慣の相違、言葉のハンディ、寒さ、老人の世話など花嫁が
考えていたことと現実があまりにも違いすぎるため、結婚後2カ月目で逃げ出して
帰国した例も出ている。この問題に対し、在日フィリピン大使館当局は「国際見合い結婚は
業者が絡んだやり方や現地の見合いの方法におかしいところがある」と批判的である。
同大使館1等書記官兼総領事のアンガーラ女史はは88年2月に東京で開かれた
結婚問題スペシャリスト講座(日本青年館結婚相談所主催)で「フィリピン女性を、
親の面倒を見、子孫を生むための嫁扱いするのは納得できぬ」と政府、自治体に反省を促した。
フィリピン花嫁本誌1991年版収録。以下、
農村の嫁不足が指摘されるようになったのは、農村から次・三男や娘たちが都市へ流出した
高度経済成長の終りごろ、1975(昭和50)年以降である。町村自治体は、結婚相談員制度を
つくったり、都会の女性との集団見合いなどの対策を講じたが、はかばかしい結果は
得られなかった。外国人花嫁を集団で迎える先鞭をつけたのは、80年に台湾女性2人を
迎えた山形県朝日町で、その後、同県大蔵村、新潟、長野、岩手、福島、群馬、西の方では
徳島など各県に広がった。とくに87年から88年にかけて増え、その数は約200人とみられる。
台湾、韓国が経済成長するとともに、これらの国々からは減り、フィリピン花嫁の数が多くなった。
スリランカ、タイなどからも迎えている。「農業の後継者づくり」が大義名分だが、なぜ花嫁が
東南アジアの女性なのか。「従順」「素直」という日本女性が見失った美徳をもっているからだという。
女性の主体性や人権を認めるというよりも、家を守り村を存続させるために「嫁をあてがう」
発想がみられる。農村の嫁不足と外国人花嫁の問題は、農業政策や日本と東南アジアの
経済格差問題など複雑な要素もからまっているが、日本の家族問題であり、女性・男性問題でもある。