【韓国】 悪臭漂う南大門の近代化~1910年代写真集「日本の朝鮮」の風景[11/05]at NEWS4PLUS
【韓国】 悪臭漂う南大門の近代化~1910年代写真集「日本の朝鮮」の風景[11/05] - 暇つぶし2ch1:蚯蚓φ ★
06/11/05 20:47:34

(ソウル=聨合ニュース)民族主義と結びついた日帝収奪論という神話は、日帝が韓半島で行ったすべての近代化
を収奪と破壊、そしてこれを痛恨の「民族性抹殺」という方向にだけ導いた。

近代化は良いことだが、そんなに良いことを外勢侵略勢力である日本がするはずがない、という暗黙の前提があ
るのだ。このため、植民地収奪論は日帝ではなくても、植民支配がなくても私たちが自分で近代化することがで
きたにもかかわらず、ここに極悪非道の日本帝国主義が割りこんで、私たちが志向していた自発的近代化の動き
を挫折・屈曲させたと主張する。(中略)

5日、翻訳・解説とともに「日帝が強占した朝鮮」と言うタイトルで公開された1910年代初めの写真資料集「日
本の朝鮮」は京城の風物の中で一つの建物だけがぽつんと残った南大門の写真をかなり大きく載せながらこんな
説明文を付けた。「南大門:元々両方に城壁があり、中央の穴を通って往き来していた。動物の糞尿が道にあふ
れて足の踏み場もなかったが、今は城壁を崩して別に道路をつくりこのように立派に保存されている。」悪臭た
だよう南大門。それは朝鮮がどうしても越えなければならない前近代の象徴だった。

植民地収奪論の神話は、朝鮮の鬱蒼とした山林が日帝によってハゲ山に変わったとも言った。写真集に収録され
たもう一つの京城風景、「京城チャンファ(?)門外の防砂植樹」と言う写真に書かれた次の説明はそんな収奪
論の常識を持った私たちをおどろかせる。「朝鮮人は燃料用に山林を伐採して、原木を根こそぎ切るから山岳は
すべてハゲ山だ。ゆえに植林は最も急がれる事業だ。」

1910年頃、平壌は漢陽(ハニャン;ソウルの古称)につぐ朝鮮第二の大都市だと言える。この写真集はわらぶき
の平壌郊外の「韓人部落」の写真を収録しているが、「決して貧民部落ではない。朝鮮農民の部落はどこでもこ
のような様子だった」と説明している。一方、写真集は近代化によって急激な発展をとげた咸境道清津港全景を
写した写真1カットを載せた。写真で清津港は近代式建築物が整然と並ぶ。それとともにこの場面を説明して
「間島との交易で近来に発展した地域」と言った。平壌郊外韓人部落と明らかな対照をを見せる。(中略)

日本が朝鮮侵略と植民支配を広報するために製作したことは疑う余地のない今回の写真集は「極悪非道だった日
帝」の記憶に対する解放以後私たちの民族主義神話が逆説的にどれほど歴史をひどく操作することができるのか
を鮮やかな実例として見せてくれる。一番代表的な事例が国史教科書を含む各種歴史書に「俄館播遷」の場面と
して収録された写真。しかし写真集によれば問題の写真は俄館播遷とはなんら関連がなく、1906年当時日本陸軍
長官、寺内正毅が徳寿宮で新式大砲を李王家に'献納'しながら、その使用法を説明している場面であることが明
らかになった。寺内は後に初代朝鮮総督に赴任する。

ひいては従来清日戦争または露日戦争で無辜の朝鮮良民を虐殺(銃殺)する場面とされた写真も、この写真集は
「日露戦争中、軍用鉄道を破壊した朝鮮人を死刑に処する場面」と説明している。今回の写真集を監修したイ・
ミンウォン東亜歴史研究所所長は「植民統治を宣伝するために製作した広報物の説明を、額面通りそのまま受け
入れることはできない」と指摘する。しかし、イ所長が付け加えて強調したように新式大砲を献納する場面と軍
用鉄道破壊容疑者に対する銃殺などのような背景の説明提示やこれらに対する批判的分析なしに、無条件に日本
の極悪非道を証明する資料として活用することは問題がより深刻になるかもしれない。

いわゆる'俄館播遷写真'や'露日戦争良民虐殺写真'のような資料が果たしていつ、誰によってそのように主張さ
れ、そのように主張された内容がいつから国史教科書等に掲載されるようになったのか、などに対する追跡作業
も平行しなければならない課題が歴史学界に与えられることになった。

ソース:聨合ニュース(韓国語・抄訳)<悪臭漂う南大門の近代化>
URLリンク(www.yonhapnews.co.kr)
写真なし。


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