06/11/02 16:45:20
最近独島の領有権を主張している日本が、19世紀に独島周辺海域で操業した自国の漁民を
処刑して、他の漁民の警戒心を持たせる為に海岸の至る場所に、この様な内容を記載した
警告板を設置していたという主張が提起された。
釜山外国語大学の金文吉(キム・ムンギル)教授は最近、日本・鳥取県浜田市(注※原文訳=
浜田市は島根県)の郷土史料館で、『渡海禁止令』を詳しく記録した横1m、縦50㎝大の高札
(警告版)を発見したとし、2日に関連資料と写真を公開した。
1839年2月に作成されたこの木製の警告板には、「八右衛門という人物が竹島に渡航した事件を
厳密に調査して、八右衛門とそれ以外の者を処刑した。他の国に渡航する事を禁止するだけ
ではなく、他国の輩と会う事も厳しく治める」と記録されている。
この案内板にはまた、「1693年には朝鮮に行って操業をしたが、渡航禁止令が下された」とし、
「御代官(治安を担当した侍)は、各地域の沿岸港の至る場所に公示した警告板を立てた」と
書かれている。
金教授はこれに対し、「江戸幕府が1696年に漁民の鬱陵島及び独島への出港を全面的に
禁止したが、これを破る漁民が出るとモデルケースとして処刑と言う極端な選択をした後、
警告板を建てて警戒心を持たせたと思われる」と語った。
ソース:NAVER/連合ニュース(韓国語)
URLリンク(news.naver.com)
(関連サイト)Wikipedia
『竹島一件』
URLリンク(ja.wikipedia.org)
『竹島事件』
URLリンク(ja.wikipedia.org)