【日台】「台湾蓬莱米の父」と呼ばれた日本人、磯永吉の手稿が発見される[10/24]at NEWS4PLUS
【日台】「台湾蓬莱米の父」と呼ばれた日本人、磯永吉の手稿が発見される[10/24] - 暇つぶし2ch1:´◇`)<誤訳あったらごめん。@シャイニング記者。φ ★
06/10/25 01:10:14

台湾蓬莱米の父・磯永吉 手稿が発見される
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「台湾蓬莱米の父」と呼ばれる日本生まれの磯永吉・教授(*1)は、
日本統治時代から台湾で働き、その長さは足掛け46年にも及んだ。
彼が台湾大学の農芸学部に残した手稿、調査記録および農業文献が、
2年前に台湾大学の図書館に寄贈されたものから、先日初歩整理の中で発見された。
その多くがアジアの近代農業史にとって初めてとなる貴重な資料と言える!

台湾大学の校史館で助研究員を務めている張幸真によると、
磯永吉は、台湾の稲作の分野で科学培養・品種改良に踏み込んだ鍵となる人物であるとともに、
調査の足跡は、福建省や海南島、東南アジアと広くにわたったという。
台湾総督府の農業試験所所長であり、台湾大学の前身である台北帝国大学の教授でもあった。
日本統治時代の総督府の農業関係の公文書は全て台北帝国大学に送られ、
彼の同意を得ていたことが、最近になって台湾大学図書館に保存されていた文献記録によって
明らかとなるなど、世界に一つだけとなる宝物と言えるだろう。

台湾大学農芸学部の名誉教授、頼光隆によると、日本統治時代の台湾の稲作は、
在来種が主流を占めており、日本が導入した種もみは台湾ではずっと成功できずにいたという。
磯永吉は、農村での実験観察に十数年の歳月を費やし、
まず当時玉石混交だった千種類以上の台湾のイネの品種から、300種類あまりを厳選し栽培を行い、
それから日本のイネの品種と交雑させて台湾で育成し、「蓬莱米」の開発に成功し、
台湾の稲作の品質と生産量を飛躍的に向上させた。

頼光隆は、磯永吉の功績は台湾だけに留まらないと強調する。
磯は長期にわたる農業研究の成果を英語でまとめた「亜熱帯における稲と作物の輪作(*2)」を
本にし、これは亜熱帯の農作におけるバイブルと呼ばれるようになった。
60年代には、わが国は国連を通じてインドに蓬莱米を贈り、これによって東南アジアにおける
試験栽培にも成功した。

磯永吉の行った研究や品種改良は、サトウキビ、サツマイモ、木瓜(*3)、亜麻、コーヒー、
小麦、そして豚や鶏の品種にも及んだ。
台湾農業の発展において彼の一挙一動が全てを左右することから、終戦後も磯永吉は
日本人教授として残留し、1957年に定年を迎えて日本に帰るときも、
わが国の政府は彼の台湾農業への貢献に対する謝礼として、
省議会において彼に終生にわたって蓬莱米を贈ることを決議し、
彼がこの世を去るまで日本に贈られ続けた。
[記者:郭怡君/台北報道]

★ ソースは、自由時報 [台湾] とか。
URLリンク(www.libertytimes.com.tw) (中国語・繁体字)

★ 訳註。
(*1) 詳しくは、Wikipediaで。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
(*2) 「Rice and crops in its rotation in subtropical zones」。
(*3) この単語は「ボケ」「カリン」「パパイヤ」なんかを指すのだけど、どれのことかわからず。


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