06/09/07 20:28:23 eBeDRQUg
あるギョポの告白
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韓国入りしてしばらくは最高でした。
私と韓国のハネムーンは、思ったより長く続きました。
多分それは、私が以前暮らしたことのある国々と比べていたからだと思います。
中央アジアや中央ヨーロッパは、現代的な生活を営むには、本当に不便な所だったのです。
しかし、韓国で長く暮らせば長く暮らすほど、私は批判的になっていきました。
とても礼儀正しく、異文化への理解に溢れるあるアメリカ人女性に、こう言われたことがあります。
「ここに長くいればいるほど、自分を閉ざしていってしまう。初めて韓国に来た頃は、新しいことに心を開いていたのに。」
私たちは、韓国人との付き合いや、東西のライフスタイルの違いから生ずるフラストレーションについて語り合いました。
韓国というのは、いかに異文化への理解に溢れている人でも、苛立ちを感じることに尽きないところなのです。
彼女は、アメリカと韓国の文化交流団体を通じて韓国に滞在していました。
しかし、正直言って、韓国人の側に「交流」しようというつもりはほとんど感じられず、それが嫌な経験を引き起こします。
韓国人にとっての交流とは、韓国文化を無理矢理強制することで、こちらの文化を伝えようという試みは、強烈で、時に不健康で独善的な韓国人のプライドによって拒否されてしまうのです。
彼女の言葉は、私の友人である韓国系アメリカ人が、韓国滞在2年目を前にして口にした言葉を思い起こさせました。
「ここにいればいるほど、悪いことばかり目につくようになる。
韓国人が国粋主義的で、独りよがりであること。
この国に関することを韓国人と冷静に議論することは不可能であること。
韓国人は、お金を崇拝して外面ばかり気にしていること。
そして何が何でも韓国は一番であるということ。
そういうことには、初めてここに来たときは気付かなかった。
今は幻滅している。」