06/08/26 14:07:06 kkXpg4WV
短い詩でも日本語と英語とをこじつけることは可能である。「古池や蛙飛び込む水の音」は俳人松尾芭蕉
の句の中でもっともよく知られたものであるが、英語圏の外国人には
“Fully care cowards! To become midnote”
と聞こえる。本来の意味さえ無視すればこじつけや語呂合わせで偶然読めてしまうのはどの言語でもあり
うることを示すものである。日本とアメリカという文化的に異質の国同士でもこのように名目上の地名の類
縁を“でっち上げることが可能である”し、有名な俳句すら英語の短詩にこじつけることができるのである。
したがって、万葉集の解読も都合の良い部分だけを取り上げれば朝鮮語で読めるのは決して不思議では
ないことが納得できるだろう。