06/08/25 13:01:35
問題な日本語・「分祀」と「アジア外交」
おそらく中曽根首相あたりに始まるのではないかと思われるが、元A級戦犯の分祀という用語が出現し、今では誰も疑うことなく普通に使われている。
しかし、これは全くの造語であり、定義も概念も存在しない不思議な日本語である。それがどうして創られ、どのように使われているかを知れば、この
問題の根っこが分かってくる。
神道には分霊があり、仏教には分骨がある。しかし、分祀はない。
おそらく、合祀があるからには分祀もあると勘違いしたか、あるいは知っていながら知らんぷりして、いかにもありそうな「合祀・分祀」のセットを売り込ん
だのかもしれない。
神道の分霊は、稲荷神社系、八幡神社系、天神系、といった具合に、それぞれ総本社から分霊して系列社を建てるものだ。大元の神霊が移ったり消え
たりするわけではない。
仏教の分骨は、仏舎利が世界中に分骨されているのを始め、現在でも故郷の寺と都市近郊の霊園に分骨して葬るということが普通に行なわれている。
そこで分祀もありうるような錯覚に陥るが、分祀論者が言っているのは実際には「除籍」のことである。だから、神道としてはそういう概念がないということに
なる。
靖国神社の公式見解(平成16年3月3日)では、元A級戦犯の神霊を「ご本殿から別のお社に移す」よう中曽根氏が提案したとなっているので、元首相は
当初、靖国神社境内の別の場所に移すだけでいいと考え、それを「分祀」と名付けたのかもしれない。
しかし現在では、分祀を主張する人々は、もはやそういう概念上の移動ではなく、靖国神社からの除籍以外は考えていないようだ。さらに、韓国政府は
分祀(除籍)したとしても靖国神社への首相参拝は認めないとか、遊就館の存在が問題だと言い始めているので、境内で別の場所に移すどころか除籍
でさえも「周辺アジア」を満足させることにはならないということになってきた。
分祀論者が好んで口にするのが、その「アジアへの配慮」とか、「アジア外交の再建」といった理由付けである。分祀もそうだが、一見、何か善いこと、好
ましいことのようなイメージを与える表現を使っているところがポイントである。
ところが、アジアという用語が何を指しているのか、これこそ問題だと言わなくてはならない。
(中略)
しかし、外務省のアジアという地域分けでは、中東と旧ソ連の中央アジア、それに国交のない北朝鮮を入れないので21ヶ国と半分以下になる。そのアジア
に対する日本外交が靖国問題で行き詰まったとか、崩壊したというのは、全く事実に反する。
つまり、分祀論者がいうアジアとは、特定の国だけを指していることが明らかだ。こういうぼかし用語、政治用語に日本人はいつの間にか馴らされてしまった
ように思われる。いま特定の政治家やメディアにとって、アジアとは中国を指すらしい。韓国は付け足しにすぎない。
しかし、ここに重要な世論調査がある。2003年に猪口孝氏らの国際チームが10ヶ国を対象に実施した「アジア・バロメーター」調査で、「自分たちをアジア人
だと意識する」度合いが、ベトナムの84%に対して中国は最低の6%にとどまっている。ほとんど誤差のうちというほどの低さである。
韓国は71%と高いほうで、日本は42%と比較的低い。おしなべて小さい途上国の方がアジア人だという自覚度が高い。日本は近代化、西欧化の歴史が飛
び抜けて古いので、この数字はもっと低くてもいいぐらいだ。
中国人が自分たちをアジア人だと意識していないのは、明らかに「アジア人の上に立っている」と意識しているからであろう。ここにも中華思想が数字で表れ
たと見ていい。自分たちがアジア人と対等だと思っていない証拠である。
となると、中国を指してアジアと言いアジア外交の再建を叫ぶ日本人は、とんでもない錯覚にとらわれていると言わざるを得ない。
歴史的に見ても、アジアという単純な用語に日本人は弱い。「アジアは一つ」のはずはなく、脱亜入欧は眠れる中国(清国)に引きずられないという戦略だった。
いま逆に、中国をアジアと勘違いして脱米入亜を唱える人々が次の政権に注文を付け始めた。
歴史を直視するということは、事実を知るということである。アジア外交などという概念はもともと存在しない。(後略)
ソース:静岡県立大学国際関係学部 大礒正美研究室 大礒正美コラム「よむ地球きる世界」
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