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7/17 朝日新聞 オピニオン欄
「時流自論」 藤原新也 「エルビスの亡霊」
「あれ、気恥ずかしくて、どこか穴があったら入りたいという気持ちでしたよね」
小泉首相が米テネシー州メンフィスのプレスリー邸で、プレスリーの“猿まね”をしたテレビ報道を
見た知りあいの主婦の感想である。今もアメリカの半植民地として位置付けられている一国の長が、
アメリカの有名芸能人の猿まねをして、それを評価する国はどこにもないばかりか、軽蔑されるのは
明らかだからだ。
当の礼賛を受けた米保守派メディア、ワシントン・ポストさえ、その光景に以下のように言及している。
If wise men say only fools rush in, then on this day, at least, President Bush heeded the
wise men.(もし賢者が、愚か者のみがことを急ぐと言うなら、この日は少なくともブッシュ大統領は
賢者の言うことに耳を傾けていた)。これはプレスリーのヒット曲「Can't Help Falling In Love」
(愛さずにはいられない)の冒頭部分を巧みに引用したコメントだが、早い話、「小泉はすぐ興奮する
愚か者だったが、ブッシュは冷静だった」と一刀両断に切り捨てているわけだ。
すり寄られたアメリカでさえこうなのだ。日本と犬猿の仲である中国、北朝鮮、かつてルックイースト
(日本を見習え)の標語を掲げたアジア各国、アメリカ嫌いの南米諸国や欧州の人々に、この光景が
どのように映ったかは想像に難くない。
それにしても、小泉首相はなぜあのように極端な“プレスリーフリーク”なのか。
あるテレビ番組で、20代のタレントが非難調というわけではなく、「純ちゃんはなぜあそこまで
アメリカのスターが好きなんだろう」と不思議がっていたが、「戦後」というものを身をもって
経験している私個人には、残念ながら彼のアメリカフリークの時代背景が手に取るようにわかってしまう。
「残念ながら」という枕詞を使うのは、私自身もその時代背景に置かれていた同じ穴の狢という
意味である。私は終戦の前年の昭和19年、九州の門司港に生まれた。終戦時には当然占領軍が日本の
各拠点(港)から大挙して入ってくる。その意味では門司港で終戦を経験したことは他の地域で終戦を
経験したこととは意味合いが異なる。二次情報ではなく実際のモノや人としての「アメリカ」が
目の前に立ち現れたからだ。
私たちはこの現実に圧倒された。まだ木炭車が走り、馬車が大通りに糞をたれているような貧困な
情景の中を走る軍のトラックや「ジープ」は「格好いい」の一言だった。とくに50年代に入って
上級士官の乗り回すピカピカの民間車は夢の世界そのものだった。子どもたちは「ビュイックだ」
「キャデラックだ」「シボレーだ」と、目の前を通る車を一台一台得意になって言い当て、中には
その排ガスのにおいをかいで車を追いかける者さえいた。