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赤狩り(レッド・パージ) / McCarthyism
米ソの冷戦が激化していた40年から50年代に、共和党のジョセフ・マッカー
シーらが中心となって行った非米活動委員会(HUAC)による極端な反共主義
とこれに関連する一連の思想、言論、政治活動を弾圧する運動で、アメリカ
ではマッカーシーの名前を取って「マッカーシズム」と呼ばれている。日本
でも連合国司令部の指示によって50年の6月から行われた。1947年HUACの委員
長であった下院議員のJ・パーネル・トーマスによって調査委員会がワシント
ンで組織され、当時下院議員だった元合衆国大統領のリチャード・ニクソン
も委員会のメンバーとしてその名を馳せた。委員会にとって、ハリウッドの
スターや有名人を召喚する事は、彼等の行動を一般大衆にアピールするため
の格好の宣伝となるために、俳優のロバート・テイラーやゲーリー・クーパ
ーといった共産主義者及びそのシンパの疑いのある映画人たちが次々と召喚
された。赤狩りが映画産業を崩壊しかねないと感じた俳優のハンフリー・ボ
ガートや監督のジョン・ヒューストンたちは、アメリカ合衆国憲法第一修正
条項の規定にある思想と政治的信条の自由をHUACが侵害しているとして「第
一修正条項委員会」を発足。ワシントンに乗り込んで抗議を行うが、委員会
の力が強くなるに連れて反対運動は次第に衰えていった。また、委員会の圧
力を恐れたハリウッドの映画スタジオは、共産党員及びシンパの疑いがある
人物や、委員会への証言を拒否した人物のブラック・リストを作成して、こ
のリストに名前が載った映画人たちをアメリカの映画界から追放する。1953
年までには『緑色の髪の少年』(48)の監督ジョセフ・ロージーや、『ジョル
スン物語』(46)の俳優ラリー・パークスを含めて324人もの映画人がハリウ
ッドのブラック・リストに記録された。このハリウッドの暗黒時代の中で、
「ハリウッド・テン」のように権利章典を楯に証言を拒否して委員会に敢然
と立ち向かう者もいたが、監督のエリア・カザンや、俳優のリー・J・コッブ
のように仕事を続けてゆくために仲間を裏切る者も続出した。喜劇王チャー
ルズ・チャップリンも共産党員のレッテルを貼られた一人で、72年に『ライ
ムライト』(52)が公開されるまでアメリカに再入国する事を禁じられていた。
アメリカではその狂信的で過激な行動が反発を買って、1954年12月上院の問責
決議がなされて下火となるが、ハリウッドでの赤狩りの影響は50年代の終りま
で続いていた。