06/06/16 02:23:50
<ピープル>「韓国生活14年」をつづった本を韓仏で出版するイダ・ドーシーさん
韓国の男性と出会い「韓国人」になった女性イダ・ドーシー(Ida・Daussy、37)さん。
URLリンク(japanese.joins.com)
彼女が結婚(1993年)し、帰化(96年)してから多事多難だった韓国生活14年を
ストレートにつづったエッセイ『イダ・ドーシーの幸せ共感』(シゴン社)を15日に出版する。
イダ・ドーシーといえばフランスから来た「うらら~おばさん」のイメージがまず浮かぶ人々には
彼女が夫の祖父母の祭祀を含み、年に5回ずつ祭祀の支度をしたり、食事のたびに
サム(肉などを野菜に包んで食べる)とテンジャンチゲ(味噌を使った鍋)を食卓に出したり
という本の内容がうそ臭いと思うだろう。
しかし事実だ。
彼女は「互いに違う韓国とフランスの文化を適切に生活の中に調和させる方法を
めぐって絶えず悩みながら実践してきた」と過去を回想した。
「伝統式祭祀に固執する姑の考えを変えることはできないと判断しました。
それで余計なことは言わずに祭祀のお供え物を祭祀の膳いっぱいに用意します。
代わりに残ったナムル(野菜の和え物)やジョン(お好み焼きのようなもの)で
フランス式パイを焼いたりスープを作ったりして食ベ残しを最大限減らそうとします」
10歳、3歳の2人の息子の教育問題もそうだ。
イダ・ドーシーさんは子供たちが台所に入って来るや「すぐ出ていきなさい」と言う姑に
「申し訳ありません、お母さん。ところで最近の男性たちは料理ができなければ
結婚もできないようです」と了解を求めて、手伝わせたという。
大学院で国際ビジネスを専攻した後、現場経験を積むということで韓国に来た
イダ・ドーシーさんは偶然にあるテレビ番組に出演したことをきっかけにこれまで
タレントとして多様な活動をしてきた。
主に「韓国はこうだが、フランスはこうだ」といったフランスの文化や生活を伝えるのが
彼女の役割だった。
非公式国家広報大使の役割をしたわけだったが、そのおかげで
2004年フランス女性部から「イメージ・オブ・フランス」賞を授与された。
昨年8月にはフランス日刊紙ル・フィガロに全面を使ったインタビューも掲載された。
「インタビューを見たフランス出版社(JCラテス)からオファーが来て10月には
フランス語になったエッセイも出版する予定です。
今回はフランスに韓国を広く伝える広報大使になります」
「アジアのイタリア」というほど情熱的で、親切とサービス精神をわきまえた国という彼女の
韓国礼賛に出版社関係者は「韓国がそうだとは思わなかった」と驚きを示したという。
「いくら努力しても完全な韓国人として受け入れられることができないことにさびしさを
感じました。しかしこれから両国をつなぐ橋の役割をすることに満足しています。幸せです」
(シン・イェリ記者)
中央日報 2006.06.15 14:09:54
URLリンク(japanese.joins.com)