06/06/09 22:16:07
正論 筑波大学大学院教授 古田博司
写実的でも現実的とは限らぬ日本人 木を見て森を見ぬ東アジア認識
<<呆然とする素朴な世界観>>
もちろん筆者もそうなのだが、日本人はつくづく写実的な民族だと思うことがある。学者
であれば重箱の隅をつつくような研究が得意だし、芸術家であればディテールにこだわる
描写が本領であろう。
もっとも、英語にすれば両方ともリアルになってしまうから、以下私がお話しすることは
おそらく日本人にしか通じまい。ゆえにこれから内証話をしたいと思う。
たとえば私の専攻は東アジアだが、中国・韓国・北朝鮮とそれぞれ専門家がおり、歴史・
思想・経済・社会・文学など、さまざまに細分化されていて、お互いに微に入り細を穿ち、
集まると何を言っているのか誰にもわからない。現実的な枠があれば、なんとか対話
できそうなものだが、うまくいかない。
枠といえば、古代から連綿と続いた「周りはみんな良い人で、話し合えばわかる」という
素朴な世界観だけである。これでよく近代化できたものだと、来し方を振り返れば、ただ
ただ呆然とする。
かつて戦時中、兵站もあまり考えずに大陸侵略にのめりこみ、勝ち戦で万万歳と叫ぶ
うちに、今度は占領地に人の良い教育者や農業技術者が入り、近代教育をはじめた。
植民地となると、西欧では善良な宣教師の後に軍隊がやってくるのだが、日本では順序
が逆である。まず軍が入り、そのあとに人の良い校長先生や大工の棟梁がやってきて、
みんなで地域を開発し、全体で金が足りなくなると、日本政府が援助する。そして一様に
善良で一生懸命に近代化をやった。
<<自分の見方だけが詳細>>
先が見えないのは本土も同じで、官僚主導で爆撃の際に「燃えない都市」を作ろうと写実的
にそして緻密に計画を練った。それも現実的な焼夷弾の数発で灰燼に帰し、最後には、
詰めていた将棋をアングロサクソンに将棋盤ごとひっくり返されて、ふとわれに返ったの
であった。
さて、今度は平和な現代の話である。韓国の経済がよかった1990年代の前半、韓国
研究者も随分と人数が増え、研究も精緻になっていった。民間企業もたくましく進出して
いった。しかし誰も経済危機を予測できはしなかった。
ソース:産経新聞(東京版)6月9日12版9面(オピニオン面)
Web上では見ることが出来ないため、記者が確認してテキスト化しました。
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