06/04/08 20:39:03 o9DMgN8v
>>294
スレリンク(archeology板:183-187番)
勘合貿易 明国は日本とは
寧波(明州)で『市舶司』を置き朝貢貿易(10年に一貢、船隻3、人300人)の制限
日本国王は源道義(室町幕府・征夷大将軍の足利義満)の許可印
幕府将軍一族(足利・細川など)と
豪族寺院(安国寺・相国寺など)が明国と儲け
地方豪族(松浦など)と大名商人(大友など)は私貿易で倭寇(南倭)を働いた。
1548年 私貿易弾圧・中国貿易業者と日本西国大名が報復反抗した。
1553年以降に江蘇・浙江の沿岸は倭寇の大規模な被害を受けた。
1560年ごろになると福建・広東に私貿易が移動し、中国人倭寇が横行した。
萬暦帝の時にマカオを経由してポルトガルの軍事力下に私貿易が横行し倭寇が減った。
朱印状貿易 朝鮮出兵後に講和で勘合貿易に変え
秀吉の死後に豊臣の家臣たち(徳川など?)と結んだ貿易。
満洲の中国侵略と支配(清朝[満洲王朝]に王朝の姓易革命)により
「中国人豪族の私貿易」と「日本の幕府の公貿易」の形に変容した