【沖縄】朝鮮半島系の倭寇(わこう=海賊)ではないか…琉球王国の出自に新たな学説[2/25]at NEWS4PLUS
【沖縄】朝鮮半島系の倭寇(わこう=海賊)ではないか…琉球王国の出自に新たな学説[2/25] - 暇つぶし2ch2:ポリリーナφ ★
06/02/26 10:33:51
>>1
※続き

琉球王国と朝鮮半島との関係を指摘する説はこれまでにもあった。例えば、
琉球が三山に分立していた時代、南山は中山から攻略された(一三九三年)。
そこで南山は、王子を朝鮮の李朝太祖のもとに亡命させた。また滅亡の時
(一三九八年)には南山王自ら李朝に保護を求め渡朝している。李朝側はこれ
を厚遇しているところから、両者には深い関係があったことが指摘されている。

また、琉球国統一の基点となる本島中部の浦添グスクから大量の高麗瓦が
出土している。このことから、グスク時代(十二世紀から十五世紀)の英祖王統
の時代(一二六○ー一三四九年)に高麗瓦が導入され、次の察度王時代(一三
二一ー九六年)には交易が頂点に達して盛んとなったため、琉球のグスクも
朝鮮城郭の影響を受けたと考えられている。

さらに極め付けは、在日の作家金達寿氏がかつて、琉球王国の「万国津梁の
鐘」(一四五八年)の銘文中にある「琉球国は南海の勝地にして、三韓の秀を
鐘(あつ)め」という個所を、馬韓、辰韓、弁韓の三国(三ー四世紀)の優秀な
文化を集めて建国されたとの意味であると指摘していたことだ。


それらを集大成して今回、吉成教授らの琉球王権=朝鮮半島系倭寇起源論が
登場して来たとも言える。同教授らは、倭寇が朝鮮半島起源の八幡信仰を熱心
に奉じており、左三つ巴紋である八幡神紋が尚家の家紋にもなっていることを
強調している。だが、この推論が定説となるには幾つかの課題を抱えている
点も見逃せない。もし第一尚氏、第二尚氏とも朝鮮半島系の倭寇であったとす
るならば、従来の琉球史の定説である三山時代が実際には存在しなかったこと
になるからだ。

しかし、同教授らの主張によると、沖縄に渡ってきた倭寇は、各地に点在して
村落を形成していたが、三山を形成するまでには至っていない。三山時代はな
くて、その中から第一尚氏が登場してきたというわけだ。

一方、元法政大学沖縄文化研究所所長の比嘉実氏によると、琉球王朝と倭寇
との関係については「琉球における明・日本との関係」などを書した琉球大学の
富村真演教授の研究があって、朝鮮半島系の倭寇が琉球王朝に影響を与えた
という見解はこれまでにある。吉成教授は、民俗学者であって、歴史学者では
ないが、これまでの資料を基に一つの見解を示したものと言えよう。

中世に倭寇が勢力を拡大する中で小さな島国の琉球王朝が存続した事実を
みると、倭寇と琉球王朝を結び付けるものがあったことは間違いない。研究を
深めるためには、沖縄だけではなく、中国、韓国などの歴史研究を深める必要
があるという。

いずれにしても、琉球王国成立の前後を記した文書は極めて少ない。第二尚氏
によって編纂された正史『中山世鑑』(ちゅうざんせいかん・一六五〇年)が、
為朝伝説(グスク時代の初代、舜天王=一一八七ー一二三七年=が伊豆大島
に流刑になっていた源為朝の子供であるという伝説)を持ち出して日琉同祖論
を展開するだけだ。しかし近年の浦添グスクの発掘によって、この空白の期間
に関する考古学的な検証が開始されている。今後の議論の行方が注目される。

ソース:世界日報
URLリンク(www.worldtimes.co.jp)


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