05/12/25 14:51:42 jo1kTWxk
じゃあ久々に貼ってみますか。
名前:黄錦周
生年月日:1924年 性別 女
学歴・職歴:
1936年 12歳で100円で売られる
1938年 14歳で満州へ強制徴用
[気がつくと帰国、売られたハズの家に帰る]
<1939年第二次世界大戦勃発>
1941年 17歳で韓国から慰安所に派遣される
1941年 気がつくと帰国し、学校に通っていた
1942年 18歳で韓国から慰安所に行き
1942年 気がつくと帰国し、学校に通っていた
1943年3月 19歳で学校卒業前に自主退学、慰安所に送られる
<1943年9月大日本帝国朝鮮府での女性挺身隊募集開始>
##以下はすべて、黄錦周(ファン・クムジュ)さん1人による証言です。##
(1)従軍慰安婦と戦後補償 / 著者:高木健一
「生活は貧しく、12歳の時100円で売られた。ソウルの金持ちの家で小間使い。
1938年に威鏡南道ハムン郡で女中をしていた時に、その家の娘の身代わりとなって満州に連行され慰安婦となった」
(2)国連・経済社会理事会クマラスワミ報告 / 1996年1月4日
URLリンク(www.jca.ax.apc.org)
「17歳のとき、日本人の村の指導者の妻が、未婚の朝鮮人少女全員に、日本軍の工場に働きに行くように命じました。そのとき私は労働者として徴用されたのだと思いました。」
(3)日本TV企業"TBS"「ここが変だよ日本人」というTV-Programより
「私は19歳で学校を卒業する25日前に、日本軍に引っ張り出され、仕方なく慰安所に行ったんだ!」
(4)日韓社会科教育交流団韓国を訪問 / 1997夏期
URLリンク(www2.nkansai.ne.jp)鐚・htm#1
「満18歳になった時のある日、男がやって来て、村から娘を提供するように言いました。」
(5)元日本軍「慰安婦」の証言を聞く集会 / 1997年12月5日
URLリンク(www1.jca.apc.org)
村の班長(日本人)に「一家に一人は行かなくては」と脅かされ、1941年、韓国を離れましたが、到着した場所は、慰安所でした。
(6)黄錦周さんの証言を聞く会 / 2001.07.17 / 東京大学にて
URLリンク(www1.jca.apc.org)
「14歳のとき、いわゆる「少女供出」で満州に連行され、皇軍兵士のセックスの道具にされた。つらい体験だった。」
もう滅茶苦茶です。慰安婦って時空を超える存在だったようですwww
「常識的」に考えれば、これは嘘と言うことになりますねw