05/07/05 07:40:41 HtiHzYMh
>>577
ちょっと流れを断ち切って、槇有恒氏のご紹介を
槇 有恒
まき ありつね
1894(明治27)~ 1989(平成元年)
大正・昭和期の登山家
埋葬場所: 13区 1種 6側 (多磨霊園の紹介文です)
近代アルピニズムの開拓者・紹介者。 12歳の時に、父(武、同墓)と富士山に登って山好きとなり、
慶応義塾在学中に恩師の鹿子木員信とともに日本山岳会を設立した。卒業後渡欧して、
1921(T10)にはアルプスの難ルートであるアイガー東山綾の初登攀に成功した。
のち25にはカナディアン-ロッキー山脈の処女峰マウント-アルバータの初登頂に成功した。
欧州から帰国して岩登りをわが国に紹介し、学生登山界に大きく貢献した。
23立山松尾峠での遭難などの苦難を味わっており、同年刊行した「山行」は大正・昭和初期を代表する山の名著として名高い。
56(S31)には第三次マナスル遠征隊隊長として8,125メートルの初登頂を成功させた。
46および51~55日本山岳会会長。56文化功労者。
<コンサイス日本人名事典>