05/06/24 22:11:25
>>1 (中略1)
墨本は拓本では文字が不鮮明な時に作られ、文字の輪郭をまず紙に縁取りし、その輪郭の周
辺を墨で塗りつぶして文字を白く浮かび上がらせる。発見当時の碑はこけやつる草に覆われ、
拓本を作れなかったとされる。
好太王碑の最古の墨本はスパイとして1882年ごろ現地に入った旧陸軍士官が83年に日
本に持ち帰った「酒匂本」(東京国立博物館蔵)。改ざん説は、まず酒匂本で日本に都合のよ
い文章が作られ、さらに碑に石灰を塗って墨本と同じ文字を碑に刻んだと主張する。「倭以辛
卯年来渡海破(391年に海を渡って来た倭と戦った)」などの部分だ。
酒匂本と新発見の墨本は文字がよく似ており、「来渡海破」も大きな違いはない。一方、新
発見本には入手経緯などを記した4人の跋文(ばつぶん)(書き付け)があり、徐教授は書き
付けた人の役職の移り変わりなどから「81年より前に作られた」とみなす。酒匂本より古い
本に旧陸軍士官の意向が働いたとは考えられず、徐教授の見解に従えば改ざんは否定されるこ
とになる。