06/06/28 03:40:11 +0uvodb4
>>1
よくわからんけど警官に関する銃規制の話題デマスコミが盛り上がった時期なら、
2001年8月26日のこの事件の後あたりじゃない?
佐々 淳行 初代内閣安全保障室長へのロングインタビューより抜粋
警察官の拳銃使用規制の緩和について
URLリンク(www.nagano-cci.or.jp)
警察官の拳銃使用について、制約が緩和されたときも、
これを提言した私は「市民に銃弾が当たったらどうするのか」と一部マスコミに批判されました。
しかし、一昨年の夏にこんな事件があったのです。
三軒茶屋の繁華街で白昼、軍用ナイフを持って暴れる精神障害者がいました。
現場に向かった世田谷署三軒茶屋交番所長平田隆志警部補が、
説得に次ぐ説得を行いましたが、犯人は抵抗を止めません。
平田警部補は犯人が振るうナイフで大動脈や頸動脈を切られながらも、
規定どおり地面と空に向けて四発の威嚇射撃を行いました。
だが犯人はさらに切りかかってくる。警部補はようやく五発目で犯人を狙い、撃ちました。
当時の警察官拳銃使用取扱規範は、拳銃の前に警棒を抜くこと、
拳銃を取り出してもすぐに引き金に指をかけないこと、
「撃つぞ」と三回警告すること、その後も威嚇射撃をして、
止むを得ない場合以外は撃ってはならないと命じ、警察官の行動をがんじがらめに縛っていました。
この規則を遵守したばかりに、平田警部補は壮絶な殉死を遂げたのです。
この事件を契機に、当時の村井仁国家公安委員長はこの規則の改正を閣議に諮り、了承されました。
政府を焚き付けたと批判するマスコミに対し、私は、訓練用射撃の予算が、一人年間三〇発に限られている状況こそ問題だと反論しました。
狙った犯人に当たらないとしたら、原因は訓練不足です。その後、訓練用射撃の予算は一人年間一二〇発になりました。