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(前略)どんなに学校や先生が口を酸っぱくして説いても、メディアがどんな論調や
提案を繰り出したとしても、古今東西、これからどんなに時代が進んでいっても、
「いじめ」問題がなくなることはないんじゃあないかと思う。
子どもの世界だけではなくて大人の世界でも、どこにでも「いじめ」といういやがらせや
弱い者いじめはあるもので、それが残念ながら人間社会の現実的な一面だ。
話を元に戻すと、小学生や中学生がいじめに遭っておかしくなって不登校になったり、
自殺をしたというニュースを見るたびに思うことは、そういう「事件」になってからではもう遅い。
それこそ学校や教師の能力や対応力や「責任」をどこまでも追求してももう遅い。
ラチなんか絶対にあかないということだ。
わたしはやはり「子どものことで」「子どものために」戦うのは親しかいないと思っている。
昔、わたしの友人がこういっていたことがある。近くの公園を通ると偶然、自分の息子が
通っている幼稚園の運動会の練習をやっていて、しばらく様子を見ていると列を組んでいる
途中、息子がうしろの園児から背中を突き飛ばされてよろけるというシーンが。
わがままだけれど、気が強いともいえない自分のやせっぽちの子どもがどう出るかと
見ていると、意外やくるりと向きを変えるや自分をわけもなく突き飛ばした男の子の胸を
突き飛ばして、さらにファイティングポーズをとってみせたのだそうだ。
「いやなことをされても仕返しもできないようなら、これはかなり注意して育てなければ
いけないし、もしこういう類のことがしばしばあるのなら両親で交代で幼稚園にも観察に行って、
いじめっこにも先生にもきちんと話をつけにいくつもりだった」というが、やられっ放しで泣いて
なんかいない、やられたらやり返すような自分の子どもの態度を見てからは安心したという。
日常のごく些細なことかもしれないが、これが普通の親の目というものではないだろうか。(以下略)
星野仙一のオンラインレポート 2006 . 10 . 30
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