04/10/26 20:28:20 QCpuSzuq
ちょと高木健一について検索してみた。
URLリンク(ryutukenkyukai.hp.infoseek.co.jp)
≪サハリン残留者帰還請求訴訟(東京地裁)≫1975年(昭和50年)
(中略)
70年安保の活動家たちが訴訟の支援に加わっていたことも明らかにされています。この訴訟の中心人物が、
90年代の「従軍慰安婦」訴訟の中心人物でもある高木健一弁護士でした。
訴訟で、原告側は樺太に朝鮮人が来たのは強制連行されたからだという主張を展開しますが、そのことに
関する証言者が、なんと、あの吉田清治でした。
※吉田は「従軍慰安婦強制連行」問題で、「自分は済州島で慰安婦狩りをした」とありもしない捏造証言を
した人物である。
当時彼の嘘はまったく暴露されておりませんでしたから、ストレートに信じられた。サハリン訴訟のいかが
わしさを象徴しています。そもそも吉田はサハリン問題とは何の関係もありません。証言者としての資格がな
いんです。仮に彼が実際に強制連行をしていたとしても、彼が強制連行した朝鮮の人がサハリンに居住した
という証拠は何もありません。「日本が強制連行した」というイメージを与えるためだけに証言したのです。
「サハリンの韓国人は何故帰れなかったのか」のあとがきに新井氏はこう書いています「平成四年の宮沢
首相訪韓の前後に、従軍慰安婦問題が持ち上がったとき、私はこの問題の裏にサハリン問題と同一の仕掛
け人がいることを知り、そのことで警告を発したことがあった。
知らずに運動に踊らされる人たちに、自分と同じ轍を踏んでもらいたくないというほどの気持ちからだった。
ところが、宮沢首相訪韓を機に慰安婦問題はマスコミの力を借りて燎原の火の如くいっきに燃え広がり、
その結果は周知のとおりで、こんにち日本の近隣諸国への謝罪外交はほとんど習慣的になり、教科書では
間違った歴史を教え、国家が自信と誇りを失った国民を育成するという事態に陥ってしまった(中略)。
サハリン帰還運動の歴史を正しく捉えていれば、この国が、これほどまでに方向を誤ることはなかったかもし
れない。この訴訟は、「戦後補償」運動の原点というべきものであると同時に、その歪んだ本質をも示していて
注目すべきだと思います。結果的に、サハリン訴訟が、従軍慰安婦運動を準備した。