【サハリン】残留韓国人への支援問題 理由見えず…いつまで続く[10/26]at NEWS4PLUS
【サハリン】残留韓国人への支援問題 理由見えず…いつまで続く[10/26] - 暇つぶし2ch22:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
04/10/26 18:20:55 QCpuSzuq
サハリン残留韓国・朝鮮人問題、忘れない 北海道・稚内に碑建立へ /東京
URLリンク(headlines.yahoo.co.jp)
 ◇日韓友好へ李さんらカンパ呼び掛け
 サハリン残留韓国・朝鮮人問題を後世に伝える碑を、サハリンを望む北海道稚内市に建立する計画が持ち
上がっている。サハリンから日本に戻り、同胞の帰還運動を続けた韓国籍の李(イ)羲八(ヒッパル)さん(81)
=足立区=の発案だ。李さんは「戦争の傷跡を永遠に記憶し、日韓の友好につなげたい。それが残りの人生
でやり残したこと」と話す。【渡辺暖】

 李さんは20歳だった1943年春、韓国から稚内を経てサハリンに渡った。日本企業で2年間働く契約が、
期間終了後も「非常時だ」と徴用された。終戦で日本人は帰国したが、韓国・朝鮮人は置き去りとなった。
李さんは日本人と結婚したため58年、日本に戻った。サハリンを離れる際、見送りの友人たちは「自分た
ちも帰ることができるように日本で運動してくれ」と涙を流した。李さんは土木作業員をしながら、引き揚げ
者仲間と共に、同胞の帰還を求める運動を始めた。

 60年代、韓国のラジオで解決に取り組まない大統領を批判し、当局に連行されたこともあった。東京地裁
で裁判も起こした。78年、日本政府は「道義的、政治的責任がある」と認め、ようやく家族との再会、一時帰
国、永住帰国が段階的に実現した。

 「サハリンでは口を開けば故郷に帰りたい、いつ帰れるのか、という会話ばかりだったのに、帰れないまま
大勢死んだ。サハリンと韓国には慰霊碑があるのに、日本には何もない。終戦から半世紀以上たって、生
き残っている帰還者も少なくなった。もう時間がない」。李さんはサハリン時代から使い続けるカバンに詰ま
った古い陳情書や裁判資料を手に語る。

 碑の建立計画は02年ごろ、李さんが長年の支援者の高木健一弁護士に相談して、具体化に向けて動き
出した。高木弁護士と元官房長官の五十嵐広三氏が建立委員会の共同代表となり、韓国の大学教授が今
年7月、碑を設計した。来年秋の完成を目指す。高木弁護士は「サハリン残留問題は不幸な歴史だが、関係
国と協力して永住帰国まで実現させた日本の取り組みは、戦後補償のあり方の一つのモデルケース。関係
者の解決への苦労を残す碑が必要だ」と話す。
(中略)

 ■ことば
 ◇サハリン残留韓国・朝鮮人問題
 第二次大戦中に日本に徴用され、サハリン(樺太)の炭鉱や軍事施設で働いた韓国・朝鮮人4万人以上が、
終戦時に日本人の妻を持つなどの例外を除き、置き去りになった。87年、超党派の議員懇談会が設立され、
88年に一時帰国が実現。韓国に受け入れ施設も作られ、現在は永住帰国も実現している。

>第二次大戦中に日本に徴用され、サハリン(樺太)の炭鉱や軍事施設で働いた韓国・朝鮮人4万人以上
また捏造か・・・
小朝日といわれる、毎日新聞だから仕方ないか・・・


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