【サハリン】残留韓国人への支援問題 理由見えず…いつまで続く[10/26]at NEWS4PLUS
【サハリン】残留韓国人への支援問題 理由見えず…いつまで続く[10/26] - 暇つぶし2ch134:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
04/10/28 01:24:46 JBCWtPE9
>>129
高木健一、この弁護士がサハリン、従軍慰安婦問題を複雑化したことは確かだと思う。

>>22
>碑の建立計画は02年ごろ、李さんが長年の支援者の高木健一弁護士に相談して
>>29
>平成5年に高木健一氏(金学順さんらの日本政府に対する訴訟の主任)ら、日本の弁護士3人がインドネシ
>アにやってきて、地元紙に「補償 のために日本からやってきた。元慰安婦は名乗り出て欲しい」という内容
>の広告を出した。
>>60
>70年安保の活動家たちが訴訟の支援に加わっていたことも明らかにされています。この訴訟の中心人物が、
>90年代の「従軍慰安婦」訴訟の中心人物でもある高木健一弁護士でした。

「樺太裁判(1)」
(中略)
―― 高木健一弁護士:その手口 ――

・「サハリン韓国人帰還運動」:朴魯学

この別ルートの中心人物は、間違いなく高木健一弁護士である。この「高木ルート」に比べれば、ユンジョンオ
ク氏などは単に元気のいい狂言回しにすぎないと思えてくる程である。そして、この高木氏こそ慰安婦問題の
今日における混迷をもたらした、最大の「功労者」であると私はみている。

それでは、高木健一なる人物の経歴、及びその周囲をみていこう。
高木健一氏は、1944年和歌山県生まれ、東大法学部卒。氏が最初に注目されるようになったのは、1975年
12月1日に東京地方裁判所に提訴した「樺太残留者帰還請求裁判」(「樺太裁判」)からである。これは第二次
世界大戦の戦前、戦中に、当時日本領だった樺太(現サハリン)に渡った朝鮮人(現韓国人)で、戦後同地へと
どまらざるをえなっかた人々のうち、韓国への帰還を希望する四人を原告に立てて、日本政府に対して帰還を
請求するという内容のものである。

原告側は十八人の日本人弁護士を代理人として立てて提訴したのであるが、そのリーダー格が高木弁護士で
ある。そして、この裁判では、以後の高木弁護士の行動の原点が窺われるのである。
(後略)


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