04/07/04 12:09 uehoXrVd
『さざれ石』を台湾に寄付すると言われました。よろしいですか?と言われましたので、
よいですと言って…(絶句)…私も心から感謝して…(絶句)…なんとお礼を言ってよいかわかりません。
本当に(先の大戦における日本)降伏の時、私は18才だったのですよね。看護学校を卒業して、検定試験に合格して、
さあこれから天皇陛下のために、日本のために身を捧げて働こう、身を投げ出しても構わない…という気持ちで看護婦に
志願しました。 私、小さいですよね。担架を運ぶのですが、担架重いですよね…走るときには担架が肩から落ちるのですよね。
それでも頑張って第一線に立とうと思ったの。
そうしているうちに(戦争に)敗けたでしょう。その時、私や、みんなは大声で…跪いてないたのよ。「天皇陛下、どうして負けたかー」
と大きな声で泣いたの…昔の思い出です。
その君が代は、私は忘れていません。いつも歌っています。日本と高砂族は一心同体のつもりです。私たち高砂族が戦争に行ったときは裸足で、
11月27日の慰霊碑の時に間に合ったら幸いです。また私たち高砂族のことを忘れないで、兄弟だと思って…ここを知らない人を誘って、
参拝にいらっしゃることをお願い申し上げます。ありがとうございました。(高砂族の)刀で敵を何十人か倒したのですよね…そういう話しを聞きました。(高砂族の)お兄さん達…兵隊で戦死した人もおり、帰ってきた人もいました。
そして(帰還兵の方々は)いろいろなことを私に言いつけました。
この慰霊塔は台湾にはつくる人が(他に)いないから、私は十年計画を立てました。でも、作ろうと思ってもお金がなく、女一人では何も出来ないでしょう。
…そこて私は日本に行って、兵隊に行った中村会長に相談しました。
「造りなさい。力を貸します。募金してね。造るようにするから、計画しなさい」ということで十年計画を立てて、(こうして慰霊碑が)出来ました。
これはみな、日本の方々のお陰で建てた慰霊碑です。私ども心を併せてつくりました。
それにまた今回、久保先生からこういうことを言ってくれて、本当にどんなに嬉しいか判らない。あんな良い石……いただくのは簡単ではないのですよね…
今日、このことを聞いて、本当にありがとうございます。感謝いたします。
愛子ばあさん「さざれ石」奉納に際してのコメント。