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1975(昭和50)年1月に中村の台湾生還の一部始終を取材した産経新聞社会部の
山下幸秀記者(現日本工業新聞社長)は当時、「日本政府の中村さんへの処遇は冷た
すぎるのではないか」と憤り、懇意にしていた作家の司馬遼太郎に智恵を授けてもらお
うと、電話したという。
「司馬さんはこう言った。『法は法で曲げられないのならば、帽子を回しなさい』と」
司馬が山下に語ったところでは、ヨーロッパではかつて、なにか事が起こったときに
帽子を回して義援金を集めたのだという。キリスト教の連帯感からだろうか。
「いずれにしてもハート・ツー・ハートの方法しかない、と司馬さんは答えた」と山下は
昨日のことのようにそのときの会話を再現してみせた。
法治国家である以上、法を原則とする日本の公式の対応はいたしかたない。山下
たちは当時、紙面を通じて帽子を回し、中村への義援金を集めて贈った。仮にそれが
中村のみならず高砂義勇兵全体への支援としては焼け石に水だとしても、日本人として
台湾の人に報いるせめてもの行動がしたかったに違いない。
これで『還ってきた台湾人日本兵』からの引用は終わりです。さいごにこのエピソードを
引用したのは、我々も同じ気持ちで「帽子を回す」ことに協力しましょうということを
訴えたかったからです。
ほかにもなにか高砂義勇隊について書いてある本があったら、また引用します。