04/07/07 08:43 vk7Yylpy
おはようございます。今日も時間があるときに『還ってきた台湾人日本兵』から
引用したいと思います。
高砂義勇隊のこととはちょっと離れた部分ですが感激したので引用しておきます。
2002年4月4日。東京の九段会館で漢族の頼亜里(八十)に会った。在野の
高砂族研究家、門脇朝秀など「あけぼの会」が招いたタイヤル族酋長の周麗梅
(引用者注:この周麗梅さんが慰霊碑建設の中心人物)らに同行して来日した。
彰化県員林鎮にすんでおり、戦前はに本の台湾総督府警察に勤務していたという。
ゆっくりゆっくり話す日本語でこう語ってくれた。
きのう(4月3日)靖国神社に昇殿参拝して、今気持ちは非常に暖かい。私もおかげ
さまで長生きし、一人前になりました。
もしも明治天皇がいなければ、台湾は日本の植民地にはなりません。(しかし)学校教育
もありません。当時、清国が台湾にいたとき、学校はひとつもありません。
日本が台湾を五十年間植民地にしたが、その五十年間の正義(はあった)。多少なり
差別もあろうが、世界第一と数える(世界でもまれにみる発展をした)五十年、立派な
五十年。厳しい法律だが、法律守れば人民は豊かになれる。盗賊の心配もありません。
立派な政治だと思います。
古い昔を思い出して、大陸と交わった(中国大陸から来た以前の国民党政権など)今の
台湾より、懐かしく日本時代を思って、(今でも日本と台湾は)いっしょになりたいと思って
います。
私は公学校六年を終えて社会に出ました。今NHK(衛星放送)で俳諧を研究しています。
八十(歳)をこえて唯一、日本の靖国神社に参拝した夜に、東京で作りました。
繋ぎ断ち 日暮里(ひぼり)の島は 曇りけり