04/06/03 02:51 b8dPoK5g
世の中には、決して解らないこともある。
人の痛みというのもそれだ。人の首をカッターで切ったら死ぬのは「解ることだろう」なんて発想自体が
戦前の馬鹿並の短絡思考。
自分が決してやらないだろうと思っていても、人がそうとは限らないのは明白。
それを共通化させるのに「解るだろう」と高圧的になるだけでは全くの無意味。
人が人を殺さないというのは、人を殺して社会的立場を失うことを恐れている人間だけが
共通認識として持てることだ。
賢い14歳未満のガキは、人を殺しても社会的立場を失うことはないと思えてしまう。
まー実際にはその土地では暮らせなくなるわけだからそうとは言い切れないが、
しかしまた別の実際的な面では、少年法によって守られるわけである。
多くの大人の言う「人を殺すことの凶悪性」などというのは、守られない者の物言いでしかないわけで、
未成年に対しては、如何にその守られないということを強調していくかで
未成年の安易な殺人を防がなければならない。
で、実際に少年法がある以上はそんなことは机上の空論であるために、
未成年の殺人を防ぐには少年法の撤廃しかないわけである。
しかし、少年法は、未成年のための未成年の権利法なわけで、
成年でない未成年に多くの抑圧をかけるからこそ成立させたものである。
少年法を撤廃しながら、大人の命令には背けないという事態を作れば、
子に対して全くの責任を負おうとしない親や教育者も増えることは明白。
それ故に、単なる撤廃などはできないのである。
例えば、学校で誤ってガラスなどを割れば、器物破損であり、
子供同士でうっかり喧嘩でもするなら、暴行罪であり、
教師と子供の関係も変わるだろう。
授業を邪魔するような子供は、威力業務妨害である。
成績が悪いガキに何らかの理由を付けて、リストラすることも可能となる。
少年法撤廃は、未成年の権利を守るものでもある。
権利の一切を剥奪をすれば大人の食い物にしかされないのだ。