08/12/03 05:04:59 oZkmC6c+
>>279
>>289
「男は女を抱いてみないと好きになれるかどうかわからない」
残念ながら、その通りだ。
やはり根本的に論点が違うのだ。
恐らく、お前ら女は、男に「君が好きだから、君とするセックスが好きなんだ」と思考して欲しいのだろう。だがな、男の現実はこうだ。
「性格、そして、セックス、この二大要素の相性が良い。だから、君が好きだ」と考えるのだ。
もうお分かりだろうか?
論理の誤用をしているのは明らかにお前ら女の方である。
人は何かの判断する時、必ず小さな情報から大きな情報を導き出す。
例えば、お前がラーメン好きだとしよう。お前は様々なラーメンを食べてきた。a店、b店、c店と色々食べてきた。
そこで、お前は考える。「どれも旨かった。幸せな気持ちに成った。なるほど、私はラーメンが好きだ」と。
そして、今日、d店のラーメンを食べた。さて、お前は何を考えるだろうか。
無論、「私はラーメンが好きだ。だから、このラーメンも好きだ」とは言わないだろ。
仮に旨かったとしても、「スープも麺も具も旨かった。なるほど、私はこのラーメンが好きだ」と考えるだろ。
つまり、そうゆうことだ。人は必ず、小さな情報を積み重ねて、大きな情報を導き出すのだ。帰納法と演繹法とあるが、演繹法とは帰納法で得た大きな情報を元に、小さな情報を導き出す行為だ。最初から大きな情報があるのではない。
つまり、男は、お前が好きだから、お前とするセックスが好きなのではなく、お前を構成する小さな情報、即ちお前とのセックス、その他諸々の要素が好きで、その結果、「お前が好きだ」という大きな情報に辿り着くのだ。この順番は絶対である。
若し、或る科学者が或る大きな情報を元に、検証もしていない或る小さな情報を真実のように唱えようものなら、そんなのはただのインチキ野郎に過ぎない。
つまり、「君が好きだから、セックスしたいんだ」なんて本気で言ってる男が居たとしたら、それこそただのペテン野郎だ。正解は、より好きに成りたいから、セックスしたいのだ。
男にだって勿論、愛情はあるのだ。だが、その大きな情報の為には、外での過ごし方、家での過ごし方、セックスの相性といった小さな情報の検証が必要不可欠なのだ。
そして、そうやって一つ一つの要素を精査し、それでも尚、「お前が好きだ」と言えた時こそ、それは真の愛情と言い得るだろう。
以上だ。ってことで、今度こそこのスレ終了な。