08/11/19 21:34:57 DBpY2nwV
>>546
占例だからとか、古いとか、新しいとか、関係ないの。じゃ、来年の新新ニュー教科書の新新ニュー解釈に従うつもり?
離を見るとか見つかるとかと固定してはいけないの、離をわざわさ探して見る見つかるを探すより事実関係を探す。
離が見ない見えない見られないに繋がることもある。
眩い強い光は見えない見られないし、夜に懐中電灯で顔を照らされると、誰がそこにいるのか判別出来ないし、
ローソクの光でさえ、光の向こうは見えないし、ローソクの光が目に入らないように隠さないと停電のときの階段は歩けない。
明知が闇を増幅することもあるでしょう。
例によってここでひとつ、停電の夜ローソクの光で階段を降りることを問う(昔は東京でもよく停電したものだった)
火風鼎の五爻
私は暗い中ローソクをかざして歩く。
光が向こう側、闇はこっち側。上爻陽、初爻陰。離が先頭。
光と私の間には三陽の乾がある。
ほら、ここに光を遮らないと先が見えないという状況がでている。
乾を前方を除く三方向としてもよく、光が目にはいらないようにしっかり遮るとしてもよい。
いずれにしても光を見ない状態を作ることが現れている。ここでは光に従うではなく、光を見ないことに従うという形。離-乾-巽。
易はわざわざ五爻を示してくれた。
火風鼎の内実である二爻の光を得るのに、初爻であるローソクを持っている人に直接応じるのでなく、
光を見ないことによって光の導きを得ることを示してくれている。