08/11/05 17:44:15 bUpERRA5
>>477
易は二分法を積み上げて八分法をとっている
(イ)、人間の行為全体、を問うならば、その一部分に離の「見る」行為がある。離と直結する卦がくる。
上卦離が八つと下卦離が八つになる。
(ロ)、「見る」行為そのもの、を問うならば、全64卦は見る行為の64の様態、時間的空間的、外部的内部的、こちらからあちらから、等々になる。
そこで坎が出たならば、「見ない」ということではなく、冷たく見る、冷たい様子で見る、冷遇されて見られる、理性的に見る、
法的に見る、血塗られたものとして見る、泥棒に狙われている、等々、坎の意匠をもった見る行為となる。
その上で各爻位の見方が加わる。
そこから押して、乾の見る行為、兌の見る行為、その他等々。
477の原則も大いに結構ですが、
(ロ)、の問いを(イ)で解してしまうと、離坎以外の卦が出るとギブアップにってしまう。
全体の一部を問うのか、一部の全体を問うのかでは次元が違ってくる。
同様の論理で二者択一でした。