08/11/03 20:35:23 szGtbQre
>>459 地山謙初六
「見たと思っていいか」、自問自答を易占に頼るかたち。
占的の範囲は相手の行為は全く不明であってもよいけれど、「予想」という意志行為が介在する。
つまり「予想」は当たる外れるの範囲外にあって、Aが見たか見ないかの「予想」範囲内のこと。
459の「見たと思っていいのか?」の易からの返答とする。
地山謙は謙遜と信用、卦全体は問いへの同意と反対、納得と非納得とを併せ持っていて、その初として、最も地山謙の
意味の強い段階にいる。
が、納得断定して次の段階には出られない、ということは、自問を肯定して同意し(あるいはその反対も)態度を表明するところまではいかない。
「予想通りか」という「思い」疑問内にある回答としてでている。
Aが実際見ようとみまいとに関係なく、勝手に立てた「予想」の程度、疑問の程度を示している。
その初爻として、艮山の山陰で自分の立てた目的を確かめている象。
したがって相手が「これは見てしまったと思って間違いない」ということではなく、
459の見たという思いが間違いないというだけのこと。
「予想通りと思っていい」が、予想の合否には一切関わりがなく、相手の行為も一切含まれていない。
単に自問自答の正当化としてみた。
追加。
もし相手の見たかという行為を占ったものなら、地山謙初はたいした感慨もなくパラパラめくって見たというところか。