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(続き)
食人の習慣自体は、日本でも(欧米では、コルバン『人喰いの村』(これは近代フランスの話)
などアナール学派が発表しだしたが)個々数年で、ようやく書かれるようになってきた。
戊辰戦争を扱った、2000年代に入ってからの数冊でも、西南雄藩の侍らによる呪術的食人行為
(実際に肝臓や心臓を食し、また勇敢な少年剣士の首を杯にして祝杯を挙げることで、その精気を
我がものとする)が広く会津や長岡で繰り広げられたことが、かるく(まだまだ西南雄藩の流れの
権力は強いから)扱われている。大出版社から出て、かなり売れた本もあるから、ご覧になると
いいとおもいます。特亜では、もういうまでもない。が米軍もベトナム戦争では
(日本との戦いでも)、食人、耳や鼻の持ち帰りでずいぶん非難された。
人身御供や食人は、おぞましいことだが、そう珍しくはないのです。
あ、皇居で発掘はまずできない。いままで出土した人身御供はすべて、崩落した土塁の補修など
やむを得ない工事に伴って、偶然発見されたものだ。では、今度こそロムに戻る。
(終わり)