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週刊新潮 2006年9月21日号 「皇室の危機」は終わらない
日本大学教授 百地 章
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消 え た 雅 子 妃 の「ご 会 釈」
雅子妃殿下について特に気がかりなのが、宮中祭祀のご欠席である。
一般には、皇室と祭祀についてはあまり知られていない。しかし、祭祀こそが天
皇の天皇たる所以、皇族の皇族たる所以と言っても過言ではないのだ。
8月14日、オランダへのご出発に先立ち、皇太子殿下はお一人で武蔵野陵に参
拝を去れた。潔斎で身を清め、長時間を神域で過ごすなど負担の大きい宮中祭祀
について、雅子妃のご出席が困難であることは理解できる。
しかし、潔斎などを要せず、比較的身軽な参拝であればご同行が可能だったの
ではなかろうか。
かつて第96代・後醍醐天皇は、天皇のあり方を、以下のお歌に詠まれた。
世をさまり 民やすかれと 祈るこそ 我が身につきぬ 思ひなりけり
世が治まり、民が安穏であれと祈ることこそ、自分にとって尽きぬ思いなのだ
と―。
後醍醐天皇に限らず、歴代の天皇は、こうして無私の心で国民のために祈って
こられた。これは二千年の間、続けれれてきた皇室の伝統である。両陛下だけで
なく、皇室と国民の架け橋となる他の皇族方も、無私の祈りを続けられている。
片道十数時間をかけての外国への移動が静養のためなら可能であるのに、なぜ
数時間程度のご参拝ができないのか。これには私ならずとも、多くの国民の間に
釈然としない思いが残っているのではないだろうか。