08/11/29 23:38:04
平安時代には、また別の恋愛物語もあります。
「とりかへばや物語」
帝が、自分の妻である中宮が、自分と一緒になる前のことを、盗み聞きするところがある。
中宮は、帝と接する前に、セックスどころじゃない、子供まで産んでいて、その子は宰相中将が今育てている、と。
帝はそれを中宮に確めることを試みると、中宮は、
「いみじき咎・過失ありとも、うち見む人ばかりだに何の咎も消え失せぬべき御有様を、まして年月重なるままに、
同じ腹にのみ御子たちなり行き給へば、御心はいかなるにつけても、いよいよ御志深くのみこそなりまさらせ給ふめれ。
何事にかは御心劣りさせ給はむ。うち重ねて御殿籠りぬ。」
この原文の大体の意味は、中宮の様子が、顔を赤らめたりして、あまりに美しい。
それを見るだけでどんな罪も消えてしまう。それと、中宮ばかりから子供が生まれたのだから、帝の愛は深まるばかり。
その夜も重なり合って、抱き合って一緒に寝た。
この物語では、天皇が、自分の妻が、以前、処女かどうかどころか、別の男の子供を産んでたのでは、という疑問を持つ。
でも、中宮が恥らう姿が美しくて、それを許す。その夜も仲睦まじく寝ている。
平安時代の天皇が、「別の子供を産んだことなんかどうだっていいよ。かわいいよ」という態度ですね。
なんか、今の時代の平民たちが、自分の妻が処女だったからより愛せるとか、処女じゃないから愛せないとか、
思うのはもちろん勝手だけど、その道徳の由来を、強引に日本の歴史の中に求めるのは、ちょっと無理がありすぎではないかと…