09/05/12 00:53:39
俺のばあちゃんは昨年の春に死んだ。
17年ほど前に死んだじいちゃんと住んでた家から出たがらず、何度かの入院騒動やら、
住んでた家の取り壊しやらで、仕方なく俺たち家族の住む土地にやって来た。
一人で暮らしてた時は気丈だったばあちゃんが、同居し始めてすぐにボケた。
食道に深く浸潤しているガンも見つかった。肺に転移もしていた。
ガンの治療目的は、QOLを主眼においたもので、それでも老体には辛い治療だったらしい。
ばあちゃんの退院後、家事と仕事をこなしつつ、ばあちゃんの介護もしてた母は、
日に日にくたびれてって、俺は不謹慎にも、ばあちゃんの死を願った。
それでも、ばあちゃんには、広い家で死んで欲しいと、俺は20代前半の小僧の分際で、
父との共同名義で家を買った。新居で一番広い部屋をばあちゃんの部屋にした。
それから一年くらい。ばあちゃんのボケは加速度的に進行して、介護をする母には辛く当たり、
俺の事は誰か分からず、父の言う事にすら無条件で反抗するようになった。
ある夜、階下で鈍い物音がした。ばあちゃんが転倒した。その衝撃で背骨が折れた。
ガン治療でスカスカになった骨は、ちょっとした衝撃にも耐えられなかったらしい。
そしてばあちゃんはまた入院した。
見舞いには行けなかった。どんどん痩せるばあちゃんを見るのが怖かった。
正月におせちを持っていったのが、最初で最後の見舞いだった。
そのひと月後、深夜に病院に呼ばれ、着いた頃には息を引き取ってた。
ばあちゃんの納棺の時、俺は子供みたいに泣いた。自分でもビックリするほど泣いた。
あれだけ死んで欲しいと思ってたのに、家族の中で一番泣いた。
火葬場で、ほとんど焼けてしまってあまり残らなかった骨を前に、死ぬほど後悔した。
死ぬ前に見たがってた弘前の桜、もうじいちゃんと見たかな?
俺がそっちに行ったら、何時間でも何日でも何ヶ月でも何年でも説教聞くから待っててくれ。
それまでに、いっぱい土産話ためとくから、楽しみに待っててくれ。