09/12/07 06:38:25 Ke0A0ov5
>>403
まず最初に、
「本来的に」会計基準セッティングは学者の仕事ではない。
理論的に考えても、GAAPを形成し成分化するのは実務家(会計士だけではない)の仕事だ。
そして、学者は規範的な会計理論を提言し、もしくは実証的に制度の点検をするものだ。
現に、米国では最初からAAAではなくFASB、日本でも現在は日本会計研究学会ではなくASBJが基準設定している。
もし、ASBJ以前の日本の会計基準の設定が学者主導で行われたと責任転嫁するのであれば、、それはむしろGAAPを集約する努力を学者に譲った実務家の怠慢だ。
次に、
>昨今のコンバージェンスの議論でも合理的でないとして論破され否定される日本基準の理論的脆弱さ
何を根拠にこのような主張をするのか?
日本が国際会計戦略において敗北したというなら、それは市場規模の差によるところが大きい。
これは会計学者のせいでもなんでもなく、経済圏の拡大政策をとらなかったことに起因する、いわば国家戦略の失敗だ。
IASBの制度的根拠を歴史的に考えた場合、IASBを権威付けしているのはEUの会社法指令である。
つまり、EUという人為的に統一された超国家的な経済圏の存在なくしては、IASBが国際基準には成りえなかった。
FASB基準もしかり。米国資本市場という、日本の数倍のマーケットの存在を前提にしている。
さらに、
そもそも、会計基準とは、商慣習・経済活動を数値的に写像するものとして設定されるのであるから、国によって異なるのが当たり前だ。
例えば、日本の合併買収と米国のM&Aとでは、取引の実質的な意味合いが異なる。
そして、英米法系の国と大陸法系の国は法体系が異なるのであるから、会計基準の体系が異なるのも当然だ。
また、かつての日本のようにケイレツが普及したり株式持合い比率の高い産業構造では、
欧米諸国に比較して企業間・社会間の”相互信頼”が高く、社会全体でみた場合の取引コストが低くて済んでいた、という意見もある。
そこには会計基準も含まれ、日本の社会的風土や産業構造に照らせば、FASBのような細則な会計基準(一つの基準だけで千ページ近くもあるような会計基準)は、いたずらに開示コストを高めるだけであっただろう。
とりあえずこの3点に関して、反論があるならどうぞ。