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禁スロマラソン41km - 暇つぶし2ch8:( ´∀`)ノ7777さん
09/02/13 11:28:40 lo3Mjf5b0
また、馬場の自伝においては、猪木の行動は日本プロレス経営改善の名を借りた乗っ取り計画だったとされ、
これに関係していた上田を馬場が詰問したら「上田が全部しゃべったんです」との記述がある。
ただ2007年1?5月にかけて東京スポーツにて連載されていた「上田馬之助 金狼の遺言」において、
上田は「実はあの事件で最初に裏切り首脳陣に密告を行ったのは馬場であるが、
当時の社内の状況ではとてもそのことを言える状態ではなく、自分が罪を被らざるを得なかった」
と語っている。
上田は「証拠となるメモも残っている」と語っており、これが事実なら定説が覆ることになるが、
今となっては馬場を含め当時の関係者の多くが亡くなっていて事実関係を検証するのは困難であり、
真相は藪の中というのが現状である。
いずれにせよ、この事件が発端となり馬場と猪木の決裂は決定的なものとなり、
その後日本プロレスは崩壊し「全日本プロレス」と「新日本プロレス」が誕生した。
慎重派といわれた馬場は、この事件についてその後一切語らず、以降信頼関係を第一に考えるようになった。
「裏切り者」の汚名をきせられた猪木は、以降攻撃的な策士の面をみせる一方でその行動にはスキャンダルが付きまとった。
元来お人好しで馬場より猪木と気が合ったといわれる上田は、以降孤独の身となりフリーとして
悪役レスラーを貫き通した。
馬場・猪木・上田のみならず日本のプロレス界にとっても重要な出来事であり、
三者の心に暗い影を落とした事も事実である。
上田は引退興行の際「猪木さんにお詫びしたい」と語ったといわれ、後に和解したものの、
猪木は「追放された事実よりも仲間だと思っていた上田の裏切りに深く傷ついた」と語っている。
山本小鉄は「こんなことあろうがなかろうが、馬場と猪木は遅かれ早かれ決別していた」と語っている。
また1992年に大熊元司が没した際、上田に不信感を懐く馬場は大熊の訃報すら伝えなかったため、
「祝儀不祝儀の付き合いも断つのか」と涙ながらに激怒した。


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