10/06/26 14:43:06 +Cutse82
なかなか大変なことに気づいたんだが、神武と朝鮮の壇君、高句麗の朱蒙は実は同一人物じゃなかろうかと・・・・。
そしてそれは秦・漢に追い出された燕の大王・皇帝でもあったと・・・。
(燕と倭国は意外と関係が有る、そして漢に落ちた燕はその後漢人化されていった)
東征(というか亡命)してきて、朝鮮を通過し最後日本にたどり着いたわけだがその途中で朝鮮に残ったのが
秦韓人であるわけだ。
(高句麗、韓、日本と東征して、神武の元になった人物が各地の土着の神話や宗教的要因で変化している。)
そして、日本の天照は日本の土着勢力と言うか倭人国とよばれた当時の日本の出雲女王であり
伝統的な王だったが、神武がやってきて国譲りを成立させ初期の日本では大王と卑弥呼(祭祀法王)
という2重統治の分担がなされていた。(大王と祭祀はその後統合されていく)
出雲勢力は東日本へと逃げ関東、東北の蝦夷と結びついた。(アラハバキ=天照)
また同時に出雲と強く結びついていた南九州や沖縄はその後熊襲と呼ばれ新たに成立された大和人を憎むこととなる。
日本の古代史は大体こんなところではなかろうか?
また、日本神話がギリシャ神話に似ているとよく言われるが、燕や斉ではヨーロッパと貿易し
多くのギリシャ・ローマ人が住んででいた可能性がある。