10/05/25 21:58:30 pQWsqd4m
>>587>>590の件だが、現在の反ネオリベや反体制派って、
妙に体制の従順というか「議論の枠組み自体に従順」で固定されてる感じがする。
ネオリベの一番の武器は財源論だと思うんだが、この財源論を論破できるのは
デフレ期のマネーの増大しかないはずだ。
ところが「反ネオリベ=日銀引き受けや政府紙幣論」にはなっていないため、
財源論やネオリベで景気回復論が破れない。
角栄・ムネオ・植草・小沢冤罪論の権力批判も
表現規制や国民の生活統制への追及があまりない、
「権力の恣意的な行使や肥大化は小さな悪よりも許されない、だから政治家だろうが一般人だろうが、
恣意的に統制できるものには何でも反対する」
ということで普段からまとまってるわけではない。
だから権力批判や体制批判も何か空虚なものに国民には感じられるんだと思う。
今問われてるのは「反ネオリベが勝ったとして、じゃあ財源論は破れるのか、景気は回復するのか?
おかしな表現規制や生活統制は撤廃されるのか?」ということではないか?
現在の反ネオリベ論や植草・小沢冤罪論の議論の枠組み自体がアンバランスで
国民には魅力的じゃないってこと。
ネオリベの武器が財源論なら財源論が増える主張が必要だし、
植草や小沢の冤罪論も
「権力の恣意的な行使や肥大化は小さな悪よりも許されない、何でも反対する」
という主張があって生きてくると思うんだが。
「権力の恣意的な行使や肥大化、国民を容易に逮捕できる生活統制や恣意的解釈運用」
などの論点を無視して、植草や小沢の冤罪論だけでは何か説得力を欠くというか、
国民には魅力がないだろう。