10/05/05 10:30:06 ppkxyGVf
>>439
90年代以降の右翼化とかネオリベ化って、
国民も声の大きいマスコミに押されて嫌々賛成の気持に誘導された、
「景気の悪化や表現規制などの元凶を左翼のせい」と誤信させられて、
「甘やかしや権利の主張のせい」でこうなった。というような
>>439みたいな体質になってしまった面は大きいと思うんだが。
児童ポルノ法や非実在青少年もあくまでも大義名分は「子供のため」であるし、
ネオリベ政策も大義名分はあくまでも、「経済のため、財政のため」だ。
だから反ネオリベ派が言うべきだったのは、
これらの特に90年代以降の体質自体を否定することだったっと思うんだよな。
国民に「もう自分の本当の希望や意見を我慢することなんてないんだ」
「マスコミは厳しいことを言うことがカッコイイと言ってるが、
あんなものは悪徳ペンタゴンに有利なだけなんだ、もっと権利や利益の主張をすべきだんだ」
という方向性でね。
ところがどうも反ネオリベ派の間にもそれを言えない体質があると思うんだよねえ。
反ネオリベ・反ネオコン派だが、ネオリベ・ネオコンが肯定される体質自体はそのままとでもいうか。
ネオリベ肯定の根拠としての財政再建論の強力さや表現規制の危険性などが放置ぎみなのも
体質が関係してそうな気がする。