10/03/06 19:25:02 /EWA0rt9
>>今の中国人は、漢字を作った時代の中国人とは違う。
つーか、自国の歴史すらも満足に知らないのか、ネウヨは。
中国に対するマイナスイメージを植えつける為に頻繁に食人の話を出しているが、
日本も明治時代辺りまでは普通に食人を行う風習があった訳なんだが・・・・・
東京近郊ある焼き場では、生まれつき虚弱体質の人々が生焼けの頭蓋骨をつよく欲しがることが
あるとも報道されている。
詳細は1902年2月の『万朝報』3018号3頁、及び同月の他の新聞を参照のこと
(南方熊楠「日本の記録に見る食人の形跡」)
「明治大正昭和 事件犯罪大辞典」、「新聞集成 明治編年史」より。
明治25年 大分県 河野儀平 妻を殺して、その生肝を眼病の母に食べさせる。
明治26年 三重県 高島久次郎 墓を暴いて小児の死体を掘り出し、蒲焼にして食う。
明治35年 東京都 野口男三郎 少年を殺して臀部と踵の肉を切り取る。それで人肉スープを作り、
ハンセン病の義兄に飲ませる。
明治35年 島根県 持田捨太郎 梅毒薬として利用するため、墓から人骨を掘り出す。
人骨は黒焼きにし、木炭やイタチの黒焼きと配合して薬とした。
明治35年 大阪府 安藤小三郎 共同墓地の番人であった同人が生首を密売。
明治39年 長野県 馬場勝太郎 女性とその子ども、子守りの3人、さらに別の女性ひとりを殺害して、肝を取る。
「ハンセン病の薬にするので、女の肝を手に入れれば150円の報酬を払う」と
“大阪の男”に誘われる。
明治40年 福島県 大竹某 墓から死体を掘り出して、梅毒薬を作る。
明治41年 三重県 小林助五郎、広松兄弟 7年間に渡って、火葬場の死体から脳漿を抉り出して
「人油」として売る。
昭和8年 群馬県 火葬場従業員が性病患者に依頼されて、死体を焼かずに脳を密売。
火葬場の敷地内には焼かれなかった死体が1570体埋めてあった。