日本史上最低のゲイ右翼、三島由紀夫を叩くスレat SEIJI
日本史上最低のゲイ右翼、三島由紀夫を叩くスレ - 暇つぶし2ch2:名無しさん@3周年
09/11/26 03:21:58 RVWPIG8X
鳩山由紀夫の間違いじゃないの?

3:名無しさん@3周年
09/11/26 12:13:02 DXQjB2sP
>>1
↑三島由紀夫に論破された哀れな過激左翼の
生き残りの怨み節じゃないの。

4:名無しさん@3周年
09/11/26 12:21:05 h2giXdX4
106:名無しさん@九周年 2008/10/23(木) 11:19:28 ID:MKKkrhYW0>>97
当時マスコミの少なくない人間が、三島にそれなりの脅威を感じていた。
それが自爆したことによる快哉は大きかったようだね。
三島のクーデターは1970年、あさま山荘が1972年だ。
まだ学生運動の正体が一般には知られておらず、マスコミも心行くまで左の旗を振っていた。
ニヤニヤ笑う自衛隊員の顔をことさらに流したのは、「三島の主張はキチガイ沙汰なのだ」という
マスコミの強い主張だわな。実際クレイジーではあったが。
ちなみに成田闘争の時、TBS社員が取材車で過激派の運搬をしていたことが判明して
問題になったことがあった。責任を取って田英夫がTBSを退社したのが1970年。
今のマスコミ報道にも強い「誰かの意図」が動いているけど、
当時のそれは、はるかにあからさまだった。
三島事件の報道は、時代背後とまわりの人間模様を強く考えながら見ないと真実がみえんわな。

5:名無しさん@3周年
09/11/26 12:24:54 esXch9lD
官邸、内閣府、自民党本部、民主党本部、社民党本部、国税庁、国税局、東京地検にメールしました。


1,
鳩山総理が脱税してるのに 逮捕されないって事は、私が脱税しても逮捕されないって解釈でよろしいでしょうか?

まさか、総理は脱税しても犯罪ではないが民間人は犯罪になります。では筋通らないでしょう。

鳩山総理が逮捕されなかった場合、私も脱税させて頂きます。 それに伴う法改正は重要事項ですので宜しくお願いします。


2, 議員は業者から裏金(賄賂)貰っても逮捕されないんでしょうか?

小沢幹事長が逮捕されなかった場合,私も議員目指して頑張りますので当選した暁には業者から裏金(賄賂)戴きます。 それに伴う法改正は重要事項です。

お忙しいと思いますが、早急に返信の方お願いします。


ちなみに自分のメアド記載。みんなも送りましょう。そうなれば逮捕せざる得ない状況に・・・


6:名無しさん@3周年
09/11/26 13:12:22 IR9DFfs7
















三島由紀夫は兵役不合格wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

戦争に行かなかった非国民が右翼ってwwwwwwwwwwwwwwwww

7:↑
09/11/26 13:41:47 h2giXdX4
戦争中の軍人や官僚に左翼がいないとでも思ってるバカ。

8:名無しさん@3周年
09/11/26 13:56:49 /GQw4OLw
ミッシーは何で兵役不合格だったの?
やっぱりゲイだから?

9:名無しさん@3周年
09/11/26 14:16:22 h2giXdX4
>>8
身体が弱かったから。
徴兵検査はかろうじて合格したけど、いざ入営のときに高熱の風邪で結核を疑われて即日帰京になったから。

10:名無しさん@3周年
09/11/26 20:37:58 esXch9lD
『科学技術予算削減で‘また’外国から褒められたニダww  反日民主党は日本の国力削減に邁進するニダww』


★「スパコン予算廃止」をほくそ笑む周辺国   (ジャーナリスト 藤村幹雄 )

・「事業仕分け」で、科学技術経費が続々縮小されていることを、米中露や韓国など周辺諸国は「歓迎」している。
日本の誇る科学技術力が今後低下し、競争力が弱まる可能性が強いからだ。

 ある韓国の外交官は「日本が何でこのような自殺行為をするのかよく分からない」とコメントした。
 ロシアの外交官も「世界の流れと逆行している」と話した。ロシアでは、プーチン政権下で科学技術
 予算は最も高い伸びを示し、昨年来の金融危機後も削られていないという。

 事業仕分けでは、次世代スーパーコンピューターやGXロケットエンジン開発などの科学技術振興予算がほぼ廃止
に等しい判断を下された。

 民主党・蓮舫議員は、「(スパコンは)なぜ世界1でなければならないのか、なぜ2位ではいけないのか」と切り込み、
「予算計上見送りに近い縮減」と判定された。

 スパコンは先端工業製品の設計や評価に不可欠で、金融工学や天文学、気候温暖化対策にも使用される高速計算
機。わずか276億円のスパコン予算を切ることで、日本の科学技術水準が遅れ、国力・産業力を損なうことになりか
ねない。各国の技術陣が最もしのぎを削る研究開発分野の一つだ。

 GXロケットも、世界の新型宇宙ロケットエンジンの中核になると期待されている。

いずれも「健康づくりを進めるボランティア活動」などと同一視することはできない。


11:名無しさん@3周年
09/11/29 12:46:36 FN57wizp
西部邁の「三島由紀夫」論
URLリンク(www.youtube.com)

【高森アイズ】三島由紀夫の天皇論[桜H21/11/25]
URLリンク(www.youtube.com)

12:名無しさん@3周年
09/12/03 17:24:15 uRBC/0JC
【尚武の】◇◇◇三島由紀夫◆◆◆【こころ】
スレリンク(sisou板)

13:シェリルの奴隷 ◆Ecz22rKivI
09/12/03 18:50:23 DG3H42OA
















三島由紀夫は兵役不合格wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

戦争に行かなかった非国民が右翼ってwwwwwwwwwwwwwwwww

14:名無しさん@3周年
09/12/03 22:19:18 uRBC/0JC
>>13
徴兵は合格してるんだけど。>>9が読めないバカですか。
上っ面の情報しか知らないバカ丸出しだね。

15:名無しさん@3周年
09/12/04 17:52:34 aTL4Hzo+
三島は軍医がこのなかで肺病持ちは手を挙げろって言われてサッと手をあげ
あとは小説に書いてあるとおり咳があるだの熱があるだの言い訳して
徴兵逃れした

16:名無しさん@3周年
09/12/04 19:12:00 hsPnrdSg
>>15
既往歴があるか訊かれたことでしょ。三島は子供の頃、肺病の既往歴がありますよ。
肺門リンパ腺という病名です。

17:売国奴・徴兵逃れのゴミ屑は死刑
09/12/04 20:11:06 8rwUCw6k
病気だろうが詐欺だろうが、戦争に行けなかった男が平和主義を叩く権利なんて無いだろ。
戦争や防衛について語る権利があるのは、戦う覚悟があるものだけだ

慰霊祭で言うところの『意に反して』戦死された方々への冒涜だ。

18:売国奴・徴兵逃れのゴミ屑は死刑
09/12/04 20:15:20 8rwUCw6k
体張って最前線で戦った人が、戦争・軍国主義を賛美・肯定するのはいいよ
また逆に、悲惨な体験に基づいた反戦は説得力がある。

「戦争は嫌だ、絶対反対」って言う人が徴兵逃れするのも理解できる。


しかし三島ゲイ由紀夫はどうだ?
いい年した壮年、日本男子が、兵隊にも行かず、『戦後になって』右翼気取りですよw
戦死された方の遺族はどう思うでしょうかね?(右翼・左翼関係なく不快に思うのではないでしょうかw)

19:名無しさん@3周年
09/12/04 20:15:28 YcSFGHDR
生きていく上で無意味な知識しかない馬鹿ばっかだなここは

20:名無しさん@3周年
09/12/04 20:17:05 8rwUCw6k
三島って戦死者を冒涜してるよな

右翼クーデターとかやる前に、徴兵逃れを謝罪して、不名誉の縊死を遂げるべき

21:名無しさん@3周年
09/12/04 20:19:19 8rwUCw6k
病気で行けなかった、は擁護にならんぞ。

こいつの行動からはなw

例えるなら、歩けない障害者が、サッカー選手に「この下手糞が、俺が手本を見せてやる」
って言うような滑稽さw

22:名無しさん@3周年
09/12/04 20:24:56 i0zKVsGG
三島さんは、身体が病弱な国立文系だったんだよね?
私立文系は皇室万歳が多いみたいだが、
三島さんは国立文系だったからその点はすごいが、身体が病弱で劣等感と優越感とで悩んでいたんだろうな?

23:名無しさん@3周年
09/12/04 21:59:53 hsPnrdSg
>>18
三島は別に軍国主義右翼でもないし、戦後に思想が変わってもいませんよ。
子供の頃から日本文化や歌舞伎、能や古典文学を愛しいた、いわば本当の国粋者で、戦後もずっとその思想や
立ち位置もブレてませんけどね。
人を批判するなら、少しは当人の著書や思想をまともに調べたらどうですか?
レベルが低すぎて話にもなりませんね。

24:名無しさん@3周年
09/12/04 22:15:01 vEXlelb2
>>23
お前は人を批判する前にもっと読書せい。
何が本当の国粋者だ。
何度も言うが三島は戦場に行っていない。理由はどうあれだ。
少しはまともにその時代の文献を読め。



25:名無しさん@3周年
09/12/04 22:37:11 hsPnrdSg
>>24
なんで戦場に行かなきゃ国粋者じゃないのか意味不明ですね。
三島だって強靭な肉体だったら行ってたでしょうよ。
バカな基準だね。病弱差別でしょうか。

26:名無しさん@3周年
09/12/04 22:43:44 hsPnrdSg
>>24
三島ほどあらゆる日本の古典文学、芸能に造詣の深い作家はいませんからね。日本浪漫派だし。
戦争起こした輩のが、よっぽど近代かぶれで、日本文化なんかなんとも思ってない、負けたら天皇なんかなくなっていいみたいなバカが沢山いたと思いますけどね。

27:名無しさん@3周年
09/12/04 22:56:48 z6t2E7ij
>>24
三島は民族派の学生運動家たちと日本国家の行く末
を案じて身を投じた愛国者、憂国者だね。

単に破壊で自己満足していた左翼たちとは偉い違い
だね。

もう少し三島の行動を勉強した方が良い。命をかけ
なかった左翼を三島は軽蔑していたそうだ。

戦争ごっこをしていた左翼たちは今なにしてるんだ
ろう。


28:名無しさん@3周年
09/12/04 23:00:53 vEXlelb2
>>26
>三島ほどあらゆる日本の古典文学、芸能に造詣の深い作家はいませんからね。

この馬鹿が。いい加減にしろ。
三島読んだくらいで日本文化が分かった気になる馬鹿脳内での話だろうが。もう一度言う。その当時の文献を読め。
一体どれ程の多くの有名無名の先人が日本文化について生涯捧げて研究してきたと思ってるんだ。
ネットしかやらんからそういう甘い考えで簡単に誤解するんだよ。
お前にはその重みがまるで分かっていない。
何度でも言う。
三島は戦場に行っていない。




29:名無しさん@3周年
09/12/04 23:28:21 hsPnrdSg
>>28
戦場に行かなきゃ、日本の古典文学に精通してないことになるんですかね。全く意味不明ですけど。

あなたこそ、少しは三島の日本文学や古典や歌舞伎の評論読んだらどうでしょうか。

30:名無しさん@3周年
09/12/04 23:30:44 hsPnrdSg
>>28
あなたもしかして武陽隠士とかいうコテですか?

31:名無しさん@3周年
09/12/04 23:52:00 vEXlelb2
>>29
心底救いようの無いアホだなお前は。
連投したお前のレスが先にあっての話だろうが。
お前は一生、三島だけ読んでろ。どうも三島作品すら大して読み込んでないようだからな。
もしかして全集買って読んだ気になってるアホガキか?
いい加減うんざりするんだよ。三島を通じての能だ歌舞伎だ陽明学だのを語ってるアホにさ。
古語辞典引く手間すら惜しむような奴が日本だ伝統だなんて言われても迷惑なんだよ。
三島嫌いがアカだけだと思いたいんだろうがな。
伝統芸能系でも嫌ってる人は多いんだよ。三島のあまりにご都合過ぎる解釈にだ。
あと
何度でも言う
三島は戦場に行っていない。




32:名無しさん@3周年
09/12/05 00:21:43 SFoiETVI
>>31
誰もあんたがアカなんて言ってないけどね。自白しなくていいよ(笑)

それにそんな板の評判なんか基準にするバカなあんたの言うことなんてな~んの説得力ないから。
三島の書いた歌舞伎や戯曲は今でも世界中で上演されてますからね。

33:名無しさん@3周年
09/12/05 00:27:11 SFoiETVI
TOKYO MX TV 西部邁ゼミナール 2009年11月21日放送
URLリンク(www.youtube.com)
三島由紀夫は生きている
ゲスト関東学院大学教授・富岡幸一郎

34:名無しさん@3周年
09/12/05 00:28:39 5n28iEl1
>>31

戦場に行った行かないは関係ないね。

戦後彼は命を賭けて国民に憂国の情を訴えたんだから。
三島の檄文を現日本は参考にすべきだろう。

特に「生命尊重のみで魂は死んでもよいのか」「自ら
を否定する憲法を守る自衛隊は・・・」の文は、今の
日本の混乱を見事に言い当てている。

戦場に行った以上の

35:名無しさん@3周年
09/12/05 00:31:48 5n28iEl1
>>31

戦場に行った行かないは関係ないね。

戦後彼は命を賭けて国民に憂国の情を訴えたんだから。
三島の檄文を現日本は参考にすべきだろう。

特に「生命尊重のみで魂は死んでもよいのか」「自ら
を否定する憲法を守る自衛隊は・・・」の文は、今の
日本の混乱を見事に言い当てている。

戦場に行った以上の行為だ。

36:名無しさん@3周年
09/12/05 00:44:14 46tdcdcL
徴兵逃れしたカスが、命掛けてる自衛隊員に説教(笑) 切腹(笑)

憂国とは共同体のために身をささげる者のみが語ることができる徳だ。
切腹は、戦場で命を掛けて戦う武士の特権だ。

徴兵逃れ三島由紀夫は、戦死者・軍人・自衛隊・武士を冒涜する国賊。

37:名無しさん@3周年
09/12/05 00:51:03 k9vet+iZ
>>36
ちょっと違うぞ。切腹の流行は江戸期以降だ。

38:名無しさん@3周年
09/12/05 00:56:08 SFoiETVI
>>36
死んだ人をそんなに執拗に憎む日本人はまずいませんけどね。

39:名無しさん@3周年
09/12/05 00:59:12 SFoiETVI
>>36
命掛けてる
↑まず正しい日本語使えるようにね。

40:名無しさん@3周年
09/12/05 23:40:35 SFoiETVI
昭和42年3月1日
「文化大革命に関する声明」
三島由紀夫(共同執筆・川端康成、石川淳、安部公房)
「昨今の中国における文化大革命は、本質的には政治革命である。
百家争鳴の時代から今日にいたる変遷の間に、時々刻々に変貌する政治権力の恣意によつて学問芸術の
自律性が犯されたことは、隣邦にあつて文筆に携はる者として、座視するに忍びざるものがある。
この政治革命の現象面にとらはれて、芸術家としての態度決定を故意に留保するが如きは、われわれの
とるところではない。
われわれは左右いづれのイデオロギー的立場をも超えて、ここに学問芸術の自由の圧殺に抗議し、中国の学問芸術が
(その古典研究をも含めて)本来の自律性を恢復するためのあらゆる努力に対して、支持を表明する者である。
われわれは、学問芸術の原理を、いかなる形態、いかなる種類の政治権力とも異範疇のものと見なすことを、
ここに改めて確認し、あらゆる「文学報国」的思想、またはこれと異形同質なるいはゆる「政治と文学」理論、
すなはち、学問芸術を終局的には政治権力の具とするが如き思考方法に一致して反対する。」

41:名無しさん@3周年
09/12/06 00:04:15 IcjuddsR
良いこと言うじゃん。

42:名無しさん@3周年
09/12/10 11:19:26 //bbtaGT
☆三島由紀夫の主義・主張★
スレリンク(shugi板)

43:名無しさん@3周年
09/12/10 14:53:39 Xd+9aaMs
徴兵逃れしたカスが、命掛けてる自衛隊員に説教(笑) 切腹(笑)

憂国とは共同体のために身をささげる者のみが語ることができる徳だ。
切腹は、戦場で命を掛けて戦う武士の特権だ。

徴兵逃れ三島由紀夫は、戦死者・軍人・自衛隊・武士を冒涜する国賊。

ってかこんな反人民的テロ野郎が一流文人になれる小日本て恥かしい国だなw

44:名無しさん@3周年
09/12/10 15:11:51 //bbtaGT
>>43
> 切腹は、戦場で命を掛けて戦う武士の特権だ。

↑別に戦場とか決まってないけど。


中国人民の頓珍漢な日本文化解釈が丸出しですよ。

45:名無しさん@3周年
09/12/10 15:39:23 //bbtaGT
二・二六事件の青年将校の多くが農村出身で家族が農村民衆なのは事実だし、
収容病院近くの林で切腹した河村青年将校を看病していた病院関係者たちも二・二六事件を擁護している事実がある。
その他、その当時の民衆による擁護的な記述は決して少なくはないのですよ。

46:名無しさん@3周年
09/12/10 15:41:19 //bbtaGT
>>45は誤爆

47:名無しさん@3周年
09/12/10 17:05:26 o7NCCX6N
三島がニヤニヤされるのは
度を越したナルシスズムで現実みてなかったから

文学の才能と指導者としての能力は別。

キチガイでOK

48:名無しさん@3周年
09/12/10 17:19:39 //bbtaGT
>>47
指導者?三島は別に指導者にも政治家にもなろうとしてないし。

49:名無しさん@3周年
09/12/10 23:04:54 +A9aSLlq


兵役失格者として差別するべき。

50:名無しさん@3周年
09/12/11 11:09:30 yk+ntRT8
私は作家として三島由紀夫とは何んの接点もなかった。そう言っていいにちがいない。
彼がすぐれた文学者であったことは私にも判っている。
なみなみならぬ、ケンランたる才能の持ち主であったことも心得ている。
たとえば、「自決」前年の「蘭陵王」―ああいう作品はなかなか書けるものではない。
しかし、人間には好みというものがある。文学の好みにおいて、私は彼と接点がなかった、そう言えばいいだろう。
(中略)
とにかく好みというものがある。私には読んでいるとお尻の下がむずがゆくなって読み通せない作家がある。
いい作家かも知れないが、それを重々判っていても、駄目だ。三島由紀夫にはそんなことはなかった。けっこう読めた。

小田実
「三島由紀夫との接点」より

51:名無しさん@3周年
09/12/11 11:12:17 yk+ntRT8
思想家としての接点はどうか。
…考えてみると、彼はあのころ大学の時計塔にたてこもった「過激派」の学生にいたく共感し、学生は学生で、
彼が「自決」したとき、われわれは負けたと言ったものだ。
…そこでも私が彼と接点がなかったことは、彼の「自決」後、ある雑誌のインタビューで、私は彼の死について
しゃべった―そのインタビュー記事の題名は、「私は畳の上で死にたい」。それがすべてを言いあらわしている。

小田実
「三島由紀夫との接点」より

52:名無しさん@3周年
09/12/11 11:13:37 yk+ntRT8
しかし、接点がひとつあった。確実にあったと思う。
私はそのころベトナム反戦運動に精を出していた。
…私はこの「ただの市民」の運動を自分で考えてやり出し、自分でそれなりに力も時間も金も出してやった。
そして、小説もとにかく書いていた。
三島も「楯の会」で同じことをしていた。彼は「楯の会」を自分で考えてやり出し、力と時間と金も出し、
小説も書きながらやっていた。
それが二人の接点だった。そのころも私はそう思っていたし、今も思っている。
ついでにもうひとつ言っておけば、そうした意味での接点を私が感じとったのは、あとにも先にも、彼ひとりだ。

小田実
「三島由紀夫との接点」より

53:名無しさん@3周年
09/12/11 11:14:21 yk+ntRT8
猪瀬直樹「三島由紀夫は、七十年に自衛隊のバルコニーに立って演説するわけです。
あの演説のとき、自衛隊員に罵倒されたでしょう。あれ、吉本さん、どうご覧になってました?」

吉本隆明「なんてやろうだ!と思ってました。
死ぬ気でいる人間の言葉を、自衛隊に入隊して一緒に訓練した人間の言うことを、黙って
聞いてやることぐらいしたらいいじゃないか。
これじゃ、三島さんが気の毒だ…、というのがホンネでしたね。」

1994年12月2日号「週刊ポスト」より

54:名無しさん@3周年
09/12/11 11:15:22 yk+ntRT8
三島さんのこと少し判ってきたことがある。
(中略)イランとか、近東イスラム教の国家っていうのは、祭政一致でしょ。
あの振舞いは西欧からは不可解なはずなんです。
でも、ぼくは戦争中の天皇というものを見ていると非常によく判る。
あれで類推すれば、もの凄くよく判る面があります。
アジア的な部分で、ラマ教とか、イスラムとか、生き神さまを作っといて、それを置いとくわけですね。
(中略)三島さんは、多分、ぼくの考えですけれども、インドへ行って、インドにおけるイスラム教の
あり方みたいなものを見て、仏教も混こうしているわけでしょう。
そこの所で、天皇というものを国際的観点から再評価したと思います。
それがぼくは三島さんの自殺当時判らなかったのです。
(中略)三島さんが国際的な視野を持ってきて、インドとか近東とかそういう所の祭政一致的考え方、
それだと思うんです。それ以外に日本なんて意味ないよと考えたとぼくは思うんです。

吉本隆明
「映画芸術」誌上、小川徹との対談より

55:名無しさん@3周年
09/12/11 11:24:13 yk+ntRT8
被告たちに憎いという気持ちは当時からなかった。
(中略)
国を思い、自衛隊を思い、あれほどのことをやった純粋な国を思う心は、個人としては買ってあげたい。
憎いという気持ちがないのは、純粋な気持ちを持っておられたからと思う。

自衛隊市ヶ谷駐屯地、益田総監
三島裁判での証言より

56:名無しさん@3周年
09/12/11 11:33:11 yk+ntRT8
「まさか、死ぬとは!すごいショックだ。
自分もずっと演説を聞いていたが、若い隊員の野次でほとんど聞き取れなかった。―死を賭けた言葉なら
静かに聞いてやればよかった。」
陸上幕僚T三佐
三島自決直後の談話

「三島の自決を知ったあとの隊員たちの反応はガラリと変った。
だれもが、ことばを濁し、複雑な表情でおし黙ったまま、放心したようであった。
まさか自決するとは思っていなかったのだろう。その衝撃は、大きいようだ。」
自衛隊の最高幹部
三島自決の日の談話

福島鑄郎
「資料・三島由紀夫」より

57:名無しさん@3周年
09/12/11 11:34:32 yk+ntRT8
バルコニーで絶叫する三島由紀夫の訴えをちゃんと聞いてやりたい気がした。
ところどころ、話が野次のため聴取できない個所があるが、三島のいうことも一理あるのではないかと心情的に理解した。
野次がだんだん増して行った。舌打ちをして振り返った。
…やるせなかった。無性にせつなくなってきた。
現憲法下に異邦人として国民から長い間白眼視されてきた我々自衛隊員は祖国防衛の任に当たる自衛隊の
存在について、大なり小なり、隊員同士で不満はもっているはずなのに―。
…部隊別に整列させ、三島の話を聞かせるべきで、たとえ、暴徒によるものであっても、いったん命令で集合を
かけた以上正規の手順をふむべきだ。
こんなありさまの自衛隊が、日本を守る軍隊であるとはおこがましいと思った。
三島がんばれ!…心の中でそう叫んだ。

K陸曹
三島演説を振り返って

福島鑄郎
「資料・三島由紀夫」より

58:名無しさん@3周年
09/12/11 11:47:56 gNS419Dy
三島思想は今こそ必用。

檄文に彼の本当の気持ちと姿がある。尊敬

するね。


59:名無しさん@3周年
09/12/12 04:40:38 GFFTxlX8
磔にされたキリストみたいなキメェ写真あったよな。タイーホされた写真家に撮らせたのが。
あんなの、憂国の士(爆笑)がやることじゃないねー。ヘンタイがやりそうなことです。

憂国の為なら、あんなオサレな軍服もどきをカスタム冥土する必要なんか無いぢゃん。
オヤヂより先に自殺なんて、親孝行を少しでも考えればしないって。単なるエゴイストです。

本当に國のこと考えるなら、後進の為に教育でもしそうなもんだが、
自分が気持ちよく散ることしか考えてないんだもん。騙された“隊員”たちがかわいそうでならん。

死体は、誰かが掃除したんだろ?最期の最期まで、わがまま通したんだろね。
作家として注目されなくなったから、肉体で注目されるしかなくなったわけです。

寺がそんなに美しいなら、保守しようと思うのが健常者の考え方だが、異常者はそれを
破壊して美を独占しようとするのです。自分の肉体も保守できないヘンタイに、國が保守できるわけないねー。

60:名無しさん@3周年
09/12/12 10:32:07 O+ijl2/O
>>59
逆にそういう殉教的、神聖ヘの合一思考がなければ、行動者になれないでしょう。何の貶しネタになってませんけど。
あんたみたいな哲学も文学も理解できない、低脳パチンコ豚には永久に理解不可能な領域なんでしょうね。可哀想に。

自衛隊員も、死体の処理や遺体搬送なんかしょっちゅうやってますからね。あんたみたいなヘタレと違うでしょ。
それで給料もらってるわけだし。
楯の会の会員も今も三島を尊敬してるから、部外者のあんたが余計な自分の視点で語る意味ないし余計なお世話です。
自分の三島憎しの感情を、心にもないつまんない偽善同情で貶しネタで言っても、
あんたのバカぶりを晒してるだけでした。
アンチ活動お疲れさまでした。

61:名無しさん@3周年
09/12/12 14:00:01 W+FwzCxR
>自衛隊員も、死体の処理や遺体搬送なんかしょっちゅうやってますからね。

知ったか乙。

62:名無しさん@3周年
09/12/13 01:21:41 TFhQ2rWX
URLリンク(www.yuko2ch.net)

63:名無しさん@3周年
09/12/13 16:10:03 in0ZeOHp
「最初はご自宅に伺ったんです。『論争ジャーナル』発刊の主旨、論調は当時反主流でした。
先生(三島由紀夫)は、その当時から一つの輝く北斗の星でしたよ。
思想的な評論など出していましたからね。
例えば、『対話・日本人論』とか、思想的な評論関係の著作を出していましたから。
文学者としてではなく、思想家として見ていましたよ。
小説家三島由紀夫と我々は見てなかったですよ。おそらく誰も。
…あの頃は、慶応で最初の学園紛争がありまして、それから早稲田、日大、明治、東大ってどんどん広がって
いったわけです。当時の思想風景というのは、左翼でなければ人にあらずという……。
想像できないでしょうが、そうだったんです。で、やっぱり、そのうちとんでもないことが起きる、と。
今見れば漫画みたいになっちゃうかもしれないけど、革命というのを、我々は真剣に危機的に感じていました。
そういう時代風潮を押さえて見ないと、あの頃の行動というのはわからないんですよ。
今の、この社会状況から見てたんじゃ」
持丸博(元楯の会初代学生長)

鈴木亜繪美
「火群のゆくへ 元楯の会会員たちの心の軌跡」

64:名無しさん@3周年
09/12/13 16:11:00 in0ZeOHp
「あの頃は、全共闘全盛の時代だった。俺は九州生まれで、全共闘の考え方に馴染めなかった。
ああ、俺の考えは世の中に合わないのかな、と思ったよ。
…学校へ行ってもどうも自分と考えてることが違うなという連中が、我が物顔で歩いている。
肉体的には負けないけど、論争して負けたくないから理論武装したいと思った。
先生(三島由紀夫)の人柄とかに興味津々だったから、たぶん、先生が辟易するくらい質問したよ。
根ほり葉ほり訊いたね。先生は、目が非常に純粋で、僕らのようなひよっこにも丁寧な言葉を使ったし、
時間を守る、威張らないし、そういうことからも魅力を感じた。文豪なんていうそぶりは全然見せなかった。
礼儀正しさとか非常に親切心があるとか、何回かのお付き合いの中で敬意を持つようになった」
仲山徳隆(元楯の会会員)

鈴木亜繪美
「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より

65:名無しさん@3周年
09/12/13 16:13:58 in0ZeOHp
「三島先生は、『君が田村君か、さあ座りなさい』とおっしゃり、これが最初の言葉だった。
じっと見られた大きな目がキラキラ輝いていて、印象に強く残った。実にあっけない最初だった。
(中略)
体験入隊終了直前、緊張の連続と疲労の極みで胃液を吐きダウンしてしまった。
薬を飲まされ、隊舎のベッドで横になっていると、三島先生がいらしたんです。
ベッド脇に座られて『大丈夫か』と声を掛けてくださった。『幾つになった』と訊かれ、『十八です』と答えると、
『そうか、俺は君の親の世代なんだなあ。無理するなよ、行けるか?』と。先生のあの声は忘れられないですよ」
田村司(元楯の会会員)

鈴木亜繪美
「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より

66:名無しさん@3周年
09/12/13 16:15:10 in0ZeOHp
「とにかく入学した前後って、大学紛争が一番大変だった時、最初に入試を受けた時はバリケードがあって
機動隊が出てましたよ。早稲田の文学部は革マル派の本拠地だった。
圧倒的に、革命論争だとか新左翼系の話が主流でした。
でも、いわゆる左翼系の議論には違和感があった。どうもちょっとおかしいと。
それでいろんなものを読んでる中で、一番明解に論を展開していたのが三島先生だった。
そういう意味じゃ、『論争ジャーナル』に出て来て論陣を張ったというのは画期的だった。
自衛隊に行こうと思ったのは、当時はマイナーな存在で、どちらかというとマイナスの評価だった。
それと規律で全部縛られている所では自分がないと言われていましたから、本当に徹底してがんじがらめの
規制の中で人間がどうであるか、自由でありうるか、それを一回やってみたいと思ったんです」
佐原文東(元楯の会会員)

鈴木亜繪美
「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より

67:名無しさん@3周年
09/12/13 16:16:19 in0ZeOHp
「三島先生の『楯の会』は、思想的に自由な所だったというのが大きかったと思います。
思想的束縛がありませんでした。会自体すごく幅広い人が入って来ていました。
僕なんか、従来型の右翼系の人とは随分違ったと思います。
僕は、三島先生といろいろ話していて、今まで会ってきた人の中であれ程頭のいい人はいなかったですね。
非常に明晰で、クリア。透明なんですよ、透明。なんていうかクリスタルガラスのような、水晶のような、
そんな印象でした。森田さんは、ともかく明るい人でした。話していて非常に気分のいい人。裏表がない人。
そういう意味で翳のない人だよね。生き方にも翳がないし」
佐原文東(元楯の会会員)

鈴木亜繪美
「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より

68:名無しさん@3周年
09/12/17 16:04:42 49bNQzhj
「三島先生は先駆的な考えをお持ちで、当時、『論争ジャーナル』という雑誌で民兵構想というのを出されていました。
こういうのは、これから面白いなと思った。
つまり自衛隊だけではなくて、民間人が防衛組織の一翼を担うという構想を出されていた。
アメリカでもヨーロッパでもそういう民兵というのはあるわけで、日本だけがそのような民兵組織がなかった。
自衛隊自体が、むしろほとんど否定されていたような世の中だったから、ああいう考え方は非常に新鮮でした。
今でもよく覚えているのは、訓練の時に小銃を持って走るわけですよ。
あの時、三島先生は『銃の重さを知ることが非常に大切なことなんだよ』と語っておられた。
よく記憶しています。国を守るということは、銃の重さを身体で感じることなんだと、理屈ではないんだと。
全くその通りだなと思いました。
ほとんどの話は忘れてしまったけれど、これはよく記憶していますね、銃の重さのことは」
イニシャルO、元京都大学生(元楯の会会員)

鈴木亜繪美
「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より

69:名無しさん@3周年
09/12/17 16:06:34 49bNQzhj
「森田とは同じ年だった。ある時、先生が俺をからかって、
『森田には命預けますっていう学生がいっぱいいるんだよ』と言ったんだ。
そうしたら、森田は顔を真っ赤にして、『いやあ、僕の命は先生に』って言った。
僕は自分の日記に書いても先生に直接そんなふうに言ったことないよ」
川戸志津夫(元楯の会会員)

鈴木亜繪美
「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より

70:名無しさん@3周年
09/12/17 16:07:37 49bNQzhj
「高校一年の時に、文化大革命が起きて、新聞は『文化大革命』礼賛一色ですよ。
『毛沢東万歳!』ってすごかった。ものすごい理想国家のように持ち上げていた。
ところが、新聞にちっちゃく記事があって、大陸から香港に逃げてフカに食われて死んじゃう人が何百人も
いるのを目撃したって。そんな素晴らしい国ならなんで亡命して逃げて来るんだ。
変じゃないかって、子供心に思っていたわけです。
…右でも左でもなかった。ところが、昭和四十五年一月頃、早大キャンパスに確か『三島由紀夫と自衛隊に
体験入隊しよう』というタテ看板を見て、俺が求めていたものはこれだと、決心。
楯の会という意識はなかった。自衛隊に行くことが主で入会はついでだった。」
村田春樹(元楯の会会員)

鈴木亜繪美
「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より

71:名無しさん@3周年
09/12/17 16:08:30 49bNQzhj
「そのあと、サロン・ド・クレールで三島先生に会いました。非常にさっぱりした感じだった。
どんな本を読んでいるかと訊かれて、大江健三郎と。
その時、先生は大江健三郎の絶版になった本の話をしたんだよ。『政治少年死す』ていうやつを。
読んでないから答えられなかったんだよね。先生は、なんでこんなヤツが来たんだみたいな顔して、森田さんの方を
見た。森田さんは『いやいや、なかなか元気がいいですから』と言ってくれました。
森田さんの一言で、私は救われたようなもんです。
そうでなければ、こんな軟弱な学生が入れるわけないじゃないですか。
森田さんて人は、知れば知る程素晴らしい人でしたね。快活という言葉、一言。」
村田春樹(元楯の会会員)

鈴木亜繪美
「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より

72:名無しさん@3周年
09/12/17 16:09:22 49bNQzhj
「三島由紀夫先生と楯の会のことは、田舎にいる時は全然知らなかった。興味もなかったし。
父親が靖国会をやっていて、その関係で森田必勝さんに会ったんです。
確か、森田さんが橘孝三郎(祖父)のことを知って、靖国会の事務所を訪ねて来たんです。
その後、私も紹介されました。親父は森田さんのことをこう言ってました。
『森田必勝という、なかなかいい男が俺を訪ねて来たぞ。凄く気骨のある人間だ。凄くいい青年だぞ』って。
くりくりっとした坊主頭の人で、本当にね、少年みたいにね、本当に裏のない人でした。
森田さんは兄と同じ二十年生まれ、ずっと兄のように思っていました。
(中略)
西新宿のルノアールで、三島先生にお会いしました。ほとんど何も言えなかったけどね。
『橘先生、お元気ですか?』と、祖父の橘孝三郎のことを訊かれたことを覚えています」
塙徹二(元楯の会会員)

鈴木亜繪美
「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より

73:名無しさん@3周年
09/12/18 21:13:23 /u/Wr9S1
「私は、正式な会員じゃないんです。
もともと大学が早稲田だったから、楯の会のことはよく知っていたんですよ。
でも、その当時は入ろうという意識はなかったですね。
…国学院の友人に、三島先生に心酔しているものがいて、仲間と一緒に先生に会いに行くことになったんです。
それにも、たまたま行かなかった。
友人は、念願の先生にお会いして、頭の中が真っ白になって
『先生は、いつ死ぬんですか?』と訊いたそうですよ。
先生は、『わっはっはっ』と大笑いされて、『まあ、お茶でも飲め』と、紅茶をご馳走になった。
何も聞けなかったけど、気さくな人だったと。夏の暑い日だった。
社交辞令だろうけど、募集してるから、また来い、ともおっしゃってくれたそうです」
須賀清(元楯の会幻の六期生)

鈴木亜繪美
「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より

74:名無しさん@3周年
09/12/18 21:15:03 /u/Wr9S1
「森田必勝とは同じ二十五歳だった。当時、森田たち十二社のメンバーはすぐにテロだとか言っていた。
できるわけねえじゃないかこいつら、と思っていた。
でも、事件が終わってから、森田の見方が変わった。あの男に対する見方は変わったよ。
先生に対しては変わらない。もともと凄いなと思っていたからね。
…何かの折に触れ思い出すと、『あいつは凄かったな』と思う。
要するに、腹を切る切らないの前に、あの状況に立てるかどうか考えた。
それから介錯して、短刀を取って……。あの状況に立った古賀、小賀、小川、森田は凄いと思う。
三期で一緒だった牧野隆彦が、先生が亡くなった四十五歳を越えた時、『先生に、すまない』と言った。
そして、翌年四十六歳、くも膜下出血で死んでしまった。その時は、ショックだったね」
川戸志津夫(元楯の会会員)

鈴木亜繪美
「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より

75:名無しさん@3周年
09/12/18 21:17:08 /u/Wr9S1
「フルコガ君(古賀浩靖)とは事件後、品川だったか、電車の中で偶然会ったことがあります。
その時、彼は『すみませんでした』と言ったので、僕は『そんなことないよ。君がそんなことを思うことは
サラサラないね』と答えた記憶があります。
先生は、残すべき人間は残したんだと思いますよ。おそらく。
だから、残った人間は、重い荷物を背負っているんですよ。
私以外に、楯の会の会員で二人、自衛隊で定年を迎えた人がいます。
彼らと違うのは、私は事件が起きる前に自衛隊に入隊していたことです。二人は事件が起きたあとに入ったから。
まあ、どちらが大変という比較は難しいですが、それぞれ大変だったと思いますね。ずっとマークもされてましたから。
多分、三人とも定年までマークされていたと思います。
…事件当日に市ヶ谷で斬られた人と会ったこともあります。
腕を斬られて、背中を何針か縫った人を知っています。でも、三島先生のことを悪く言う人はいません。
先生の心情はわかるということを、随分言われました」
イニシャルK、元明治大学生(元楯の会会員)

鈴木亜繪美
「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より

76:名無しさん@3周年
09/12/18 21:18:45 /u/Wr9S1
「たぶん、先生は最初一人で死ぬつもりだった。森田さんも死ぬ覚悟を決めていたんですよ。
『森田の精神を恢弘せよ』とは、その森田さんの純粋な行為、行動、信条を後の人に伝えろというのが
あるのだと思います」
佐原文東(元楯の会会員)

「三島先生という存在自体は亡くなられても、文学者としての三島由紀夫、社会的な立場にある人としての
三島由紀夫は残ると思います。しかし、森田についてはおそらく何も残らない。
森田について言いたいことは政治的な森田。日本には『自決』という政治的表現があるんです。
諭したい相手がダメだと思ったら、自らの命を捧げて訴えるという政治的な表現法です。
行動主義の森田だったから、西洋的にしゃべり尽して相手に伝える事をせず、『自決』という行動で、
『日本の真の姿を見よ』と訴えたかったんだろうと思います」
伊藤好雄(元楯の会会員)

鈴木亜繪美
「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より

77:名無しさん@3周年
09/12/18 21:20:33 /u/Wr9S1
「先生はもうそれなりに著名で確立されている方です。でも、森田さんは無名でした。
三島先生は、ものすごく森田さんの身の上を案じ、今後、森田さんの精神がそのまま埋もれてしまうことに対して
危機感があったんだと思います。
僕の進んできた道を―商社に入ってずっと普通に生活してきたことを、申し訳ないという気持ちがあります。
(中略)僕は、大学で中国語を学び、中国という共産主義の国が隣にあって、日本がどう思われているのか、
最近の反日の運動を見るにつけ、その前から中国はずっと日本に対して辛く当たっていることを経験してきました。
みなさんは日本の中で日本を見てきたと思うけれど、僕は中国というフィルターを通して日本を見てきたんです。
預言者としての三島由紀夫というのは、ものすごく的確だと思います。
今の日本の政治はぶれている。外交上、中国にしてやられています。そういういたたまれない状況にあるだけに、
非常に的確に予言していたな、と思います。それだけに、三島先生や森田さんのやった行動が余計光ってくると思います。
一条の光というか、僕は、やがてもっともっと輝いてくると思っています」
古屋明(元楯の会会員)

鈴木亜繪美
「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より

78:名無しさん@3周年
09/12/18 21:29:41 EqfmgUmo
荒らすなコピペ厨

79:名無しさん@3周年
09/12/18 22:03:33 eFqYXG13
自決した愛国者 森田必勝も忘れてはいけませんね。

80:名無しさん@3周年
09/12/18 22:27:21 +1VNk/rj
どんな人であれ、亡くなった人を叩くのは人間の屑がやることだ。

81:名無しさん@3周年
09/12/22 11:53:48 XtKaC2nU
頭の悪いゲイウヨ

82:名無しさん@3周年
09/12/22 12:50:00 3XmhyJMc
死に方から変に誤解されて作家としての評価も歪められている可哀想な人
まあ、病跡学のサンプル

83:名無しさん@3周年
09/12/22 12:56:26 wzsKvDMR
日本国の最大の問題は死んだら責任を免れると思っていることだ。
東京裁判で東條英機元首相は死刑にされた。
死後、死体は焼却処分され遺骨と灰は捨てられ遺族には渡されなかった。
渡せば遺族は極悪人を祀ると言う悪行をする可能性があったからだ。
事実、東條英機の娘はこの極悪人を弁護している。
娘みずからこの極悪人の死体を足蹴にするのが正義なのに

84:名無しさん@3周年
09/12/22 13:10:32 vSm9LtB3
ある政治家が「狂気の沙汰」と呼び、これに迎合するかのようにある作家が「精神分裂症」と診断した。
病理学的な狂気は三島由紀夫君にはなかった。
狂気とかたづけてしまえば、その時点で政治家も作家も、一切の思考を停止し、責任を回避することができる。
ソ連のような国では、多くの健康な作家が精神病院に入れられている。
独裁者と怠惰な思考喪失者にとっては、人を狂人あつかいにすることほど簡易軽便な処理法はない。
「賊と呼び狂と呼ばんも、他評に任ぜん」という句は、維新志士たちの辞世の漢詩にときどき出てくる。
出典はシナにあるかもしれぬが、これが古今に通じる志士の心である。
三島君自身も狂人呼ばわりの「他評」はもとより覚悟していた。

林房雄
「悲しみの琴」より

85:名無しさん@3周年
09/12/22 13:11:14 vSm9LtB3
だいぶ以前のことだが、三島君は私の家に遊びに来た時、デパートの売子たちの無知と無礼粗暴な態度を怒り罵倒し、
「こういうのが現代の若者だというなら、僕はできるだけ長生きして彼らが復讐を受けるのを自分の目で見てやりたい。
それ以外に対抗策はありませんね」と真顔で言って私を笑わせてたことがある。
彼にもこのような意味の長生きを考えていた一時期があった。
いわゆる「夭折の美学」を捨て、図太く生きて戦後の風潮と戦ってやろうと決意したのだ。

林房雄
「悲しみの琴」より

86:名無しさん@3周年
09/12/22 13:11:57 vSm9LtB3
彼が週刊誌に荒っぽい雑文めいたものを書きはじめ、グラビアにも登場しはじめたとき、「いったいどうしたのだ」
とたずねたら、「戦後という世相と戦うためには、こんな戦術も必要でしょう」と笑って答えた。
だが、この「長生き戦術」または「毒をもって毒を制する戦略」はやがて捨てられた。
怒れる戦士は迂回作戦を軽蔑しはじめ、単刀直入を決意した。
『英霊の声』はこの視角から読まねばならぬ作品である。

林房雄
「悲しみの琴」より

87:名無しさん@3周年
09/12/22 13:13:07 vSm9LtB3
三島君の熱望は決して政治概念としての天皇の復活、したがって明治憲法復元論でもなく、ただ左右の全体主義
(共産主義とファシズム)に対抗する唯一の理念としての「文化の全体性と統括者としての天皇」の復活と定立であった。
このような定立が、「古代の夢」は別として、日本の歴史において実現された実例があったかどうかは
論争的として残るが、その試みが幾たびか行われて、多くの忠臣と志士がこの夢に命を捧げたことは事実である。

林房雄
「悲しみの琴」より

88:名無しさん@3周年
09/12/24 00:48:42 U65Krvwr
水島総(チャンネル桜)は似非保守(1/2)
URLリンク(www.youtube.com)
水島総(チャンネル桜)は似非保守(2/2)
URLリンク(www.youtube.com)

89:名無しさん@3周年
09/12/24 00:55:30 oKP3LYxW
>>85
それは「伝統思想を大切にしないと、伝統思想による復讐がある。」ということで、
世界的に通用する論理ですよ。
家庭内暴力や構内暴力はそういうものの一つで、三島は正しい。

90:名無しさん@3周年
09/12/24 01:20:56 YtqdzuDk
なぁんで、文学者は極端なの?

91:名無しさん@3周年
09/12/25 00:13:01 TE/Y6EUM
だってそうしないと売れないし

92:名無しさん@3周年
09/12/25 10:06:08 TwgM+qrw
「三島先生と一緒に行動を起こし、残った三人のうちの二人古賀浩靖と小賀正義は、自分が楯の会に誘ったんです。
警察に留置されている二人のことをずっと考えました。
(中略)
フルコガ(古賀)とチビコガ(小賀)が出てくるまでは、東京にいるのが義務だと思いました。
彼らが出てきたので、その年の秋、秋田に帰ることになりました。
お金がなかったので、トラックをレンタルして、運転手を古賀と友人が手伝ってくれました。
一日かかって秋田に着き、夜に三人で酒を飲みました。その時、古賀に訊いたんです。
『古賀(ヒロヤン)、ひとつだけ訊きたいことがある、いいか?』
『何だ?』
『十一月二十五日、あすこの現場を出る時、投降して捕まって出る時、どういう気持だったんだ?』
今考えると、バカな質問をしてしまった。自分でさえ頭がまっ白になったのに、彼らがその時のことを
言葉に表現できるはずかない……。気付かなかった」
伊藤邦典(元楯の会会員)

鈴木亜繪美
「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より

93:名無しさん@3周年
09/12/25 10:06:58 TwgM+qrw
「なかなか答えてくれないから、『あの事件は、何があなたに残ったんだ?』と訊いた。
すると、古賀は、カウンターの上で、ゆっくり右の手のひらをただ上に向け、何かを持つようにした。
古賀はその手をじっと見つめたまま、一言もなかった……。
それが何を意味しているのか理解したのは、一ヶ月か二ヶ月たってからだった。もう声も出なかった。
それは、三島先生と森田さんの、首の重さ……。それを知った時、ふーっと血の気の引くような衝撃に襲われた。
あの人が首を落とし、安置した。古賀だけが首の重さを知っている……。
彼らに事件のことを訊いたのはそれだけ。あとはもう訊けない。
今でも時々会うが、一切そういう話はしない。失礼に当たると思っています。
(中略)
あの行動を凌駕する言葉とか文章、表現はない。
それを残された会員みんな、漠然と確実に持ってしまっているんです」
伊藤邦典(元楯の会会員)

鈴木亜繪美
「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より

94:名無しさん@3周年
09/12/25 10:08:54 TwgM+qrw
「僕が、どうしてしゃべる気になったかというと、結局、あの事件は、『三島由紀夫』だけが前面に出ているから。
だから、世間の評価というのは、いわゆる作家が起こした結末だというのがほとんどでしょ。
もし、三島先生一人だけだったら、僕はそれは認めるわ。だけど、森田さんが一緒だった。
まるで森田さんなんて、さしみのツマみたいなもんや。
だから、僕はそれが我慢できへんかった。ずっと、今でも、そう思う。
三島先生は、もの凄い追い詰められたと思うの、森田さんに。本当に。
もし森田さんがいなかったら、三島先生、絶対せえへんよ。ああいうことは。思い切れなかったと思う。
違った形でしたかもしれへんけど。自分で腹切って死ぬことはあったかわからへんけどね。
ああいうことはしなかったと思う。うん、すべて森田さんの影響よ、あれは。
森田さんの言動でもわかっていたし」
野田隆史(元楯の会会員)

鈴木亜繪美
「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より

95:名無しさん@3周年
09/12/25 10:10:27 TwgM+qrw
「…森田さんは『自分でテロするなら、必ず自分の命を絶たなきゃいけない。生き残ったらいけないんだぞ。
そんなヤツいるか?今の日本で、自分の命を賭けてもいい奴がいるか?』そう言った。
森田さんは、その時、もう覚悟できてたし、三島先生について行ったらいいと、自分の命を捨てる覚悟だったんやろうね。
三島先生は、すべて規定済みやった。たぶん野次で、自分の声がかき消されるのもわかってた。
それを上回るようなマイク使ったら、値打ちもない。演説と違うんだから。やっぱし、最後は肉声よ。
明治維新から百年たって、高杉晋作や坂本竜馬がどうだったか、今では我々もわかる。
五十年、百年たって、わかる人がわかればいいのよ。
当時、二十歳前後だった我々は、他のみんながこれからどうして生きようという学生時代に、どうして死のうか
考えてた。それだけの覚悟をしてしまった。それは、森田さんも、我々も一緒だった」
野田隆史(元楯の会会員)

鈴木亜繪美
「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より

96:名無しさん@3周年
09/12/25 10:11:49 TwgM+qrw
「拘置所にいる時、記録として残しておこうと思った。
日記のような形にしようと思って、それを看守に言ったら、あかんと言われた。
ノートは手に入ったので、洗面所にあった釘で書いた。結局、検閲で見つかって没収されてしまった。
三島先生は、日本は文化概念として天皇陛下がいらっしゃると言われてきた。
『我々の一番の根幹は、天皇を守るか守らないか。これから稲を植えて収穫するのは、天皇家しか
やらないんじゃないか、そういう未来が来るよ、工業化のあげくに……』先生はずっとそう言っていた。
森田さんに対して…忸怩たるものがある…何もできていない…。
しかし、僕をはじめ、みんなも表に出なくていいと思う。本来埋もれていくべきだと思う」
小賀正義、三島由紀夫と共に決起(元楯の会会員)

鈴木亜繪美
「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より

97:名無しさん@3周年
09/12/25 10:13:53 TwgM+qrw
「森田さんのことを語り合うのは価値があるが、自分たちのことを話すのは間違っていると思う。
先生は偉大な人だから、それは置いて、我々は埋もれていげばいい。埋もれなければならない。
活動したことは価値あることで、先生が『楯の会』という、今までにない団体で行動したのは、時代に夢が
あったからだと思う。今後とも出て来ないだろうし、価値があった。
でも、我々が、楯の会の会員だったということを口にするのは、違うと思う。
森田さん自身、そんなに言ってほしくないと思っているのではないか…。僕は黙って死んで行く…という人だから。
…『森田の精神を後世に恢弘せよ』とは、三島先生と森田さんの、感性を持てということだと思う。
先生があそこまでできたのだから、僕もできるだろうと。それがずっとある…。
自分はそれだけのことをやっている自信はある」
小賀正義、三島由紀夫と共に決起(元楯の会会員)

鈴木亜繪美
「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より

98:名無しさん@3周年
09/12/25 23:37:31 UV0EQVA+
オナニーゲイ

99:名無しさん@3周年
09/12/26 10:49:44 xXGGo0Nu
息つくひまなき刻苦勉励の一生が、ここに完結しました。
疾走する長距離ランナーの孤独な肉体と精神が蹴たてていた土埃、その息づかいが、私たちの頭上に舞い上がり、
そして舞い下りています。
あなたの忍耐と、あなたの決断。あなたの憎悪と、あなたの愛情が。そしてあなたの哄笑と、あなたの沈黙が、
私たちのあいだにただよい、私たちをおさえつけています。
それは美的というよりは、何かしら道徳的なものです。あなたが「不道徳教室講座」を発表したとき、私は
「こんなに生真じめな努力家が、不道徳になぞなれるわけがないではないか」と直感したものですが、あなたには
生まれながらにして、道徳ぬきにして生きて行く生は、生ではないと信じる素質がそなわっていたのではないでしょうか。
あなたを恍惚とさせる「美」を押しのけるようにして、「道徳」はたえずあなたをしばりつけようとしていた。

武田泰淳
「三島の死ののちに」より

100:名無しさん@3周年
09/12/26 20:02:58 xXGGo0Nu
三島は結局、自衛隊市ヶ谷駐屯地を己の死に場所とした。
…多くの自衛隊員の前で演説し、そして腹を切るという壮烈な死の花道として、士官学校、大本営、参謀本部など、
かつて日本陸軍のメッカといわれた市ヶ谷を選んだ。
…三島は隊員に決起を促すため方面総監室を占拠し、総監を人質にするという暴挙に出たが、そのために三島を
恨んだり、非難する声は今でも自衛隊内部では少ない。
事件の当日、会議中に総監室の異状を知った方面総監部三部の防衛班長中村菫正(のぶまさ)二佐は、隊員の通報で
総監室に駆けつけ、幕僚長室から総監室に通じるドアを体当たりで開けて中に飛び込み、振りかざした三島の刀で
右手を二回にわたり斬りつけられる。(中略)
思いもかけなかった刃傷事件の発生に、総監部の各事務室の片隅に警棒が常時置かれるようになったのは、
この事件以降のことである。

原竜一
「熱海の青年将校―三島由紀夫と私―」より

101:名無しさん@3周年
09/12/26 20:04:44 xXGGo0Nu
(中略)しかし、こんなとんだ災難にあった中村二佐だが、三島を恨もうとはしていない。
「三島さんは私を殺そうと思って斬ったのではないと思います。相手を殺す気ならもっと思い切って斬るはずで、
腕をやられた時は手心を感じました」とあとで語っている。
斬られながらも相手の手加減を感じるなど、剣道を知らない者にはわからないところだが、中村二佐は旧軍の
軍人だから剣道の腕も相当なものがあったのだろう。
自衛隊の良き理解者だった三島について「まったく恨みはありません」と断言した中村二佐はその後、陸幕広報班長、
第三十二連隊長、総監部幕僚副長、幹部候補生学校校長を歴任し、昭和五十六年七月、陸将で定年退官するが、
最後の職場が、かつて三島を教育した久留米の幹部候補生学校だったとは、皮肉な巡り合わせである。

原竜一
「熱海の青年将校―三島由紀夫と私―」より

102:名無しさん@3周年
09/12/26 23:58:41 xqec7ynW
           %%%%%%%%%
           %告報生七%
           6|-○-○ |
            |   >  |
            \ ∇ /<自衛隊は決起せよ!
     (っ)    ,,,,l ` γ l,,,,,
      \ \/~~.... |。  ~~ヽ
        \,,/ |   |。田}}\ \
       _    |   |。  |  ゝつ
      |\  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
      |  \               \
      |   | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|

103:名無しさん@3周年
09/12/28 23:17:08 ogNVemXc
どうも左翼と言うのは2つに分けて考えた方がいいようだ。
ひとつは日本と外国とを問わず差別、侵略、人権侵害に反対する者
もうひとつは日本の差別、侵略、人権侵害には反対するが特定の外国の差別、侵略、人権侵害は無視するか逆に擁護する者
これは反日であっても左翼ではない
本物の左翼なら日本と外国とを問わず差別、侵略、人権侵害には反対するはずだ

104:名無しさん@3周年
09/12/29 15:12:40 j+yqDnA3
TOKYO MX 12月31日(木)21:00~23:00放送

大晦日特別番組「如何にせん保守政治」
URLリンク(www.mxtv.co.jp)
URLリンク(www.youtube.com)

特別ゲスト:
元首相・安倍晋三衆議院議員 
平沼赳夫衆議院議員 
野田毅衆議院議員 
西田昌司参議院議員

出演:西部邁 秋山祐徳太子
テーマは、「ニッポンの保守どうする~保守の再興は如何にして可能か~」。
大晦日21:00~2時間にわたり徹底討論いたします。

105:名無しさん@3周年
10/01/03 19:31:04 0m7XgEbr
如何にせん 保守政治1/5~5/5
URLリンク(www.youtube.com)
URLリンク(www.youtube.com)
URLリンク(www.youtube.com)
URLリンク(www.youtube.com)
URLリンク(www.youtube.com)

106:名無しさん@3周年
10/01/11 00:16:02 dV5kZJkQ
ゲイ信者ネトウヨw

107:名無しさん@3周年
10/01/18 15:15:06 2kIeM8mS
西村幸祐
反日マスコミの真実2010 ―日本を壊す、言論統制と情報封殺システム―
URLリンク(www.amazon.co.jp)

108:名無しさん@3周年
10/01/21 23:19:11 osfuT8XS
一九六七年(昭和四十二年)春、四十二歳の三島氏は一人で四十五日間、自衛隊に体験入隊し、国防の必要性を感じ、
祖国防衛隊的な組織を作ろうと政治家や財界人に働きかけたのですが成功しませんでした。
三島氏は自ら学生を集め、自衛隊に体験入隊させて祖国防衛隊を作り、のちに「楯の会」という名前を付けました。
三島氏は熱心に働きかけたのに本気にならなかった多くの財界人を見て、「財界人は一見、天皇主義者だけで、
利益のために簡単に変節する連中だ」と絶望していました。

井上豊夫
「果し得ていない約束 三島由紀夫が遺せしもの」より

109:名無しさん@3周年
10/01/21 23:21:59 SoxrR001
今朝の味噌汁、美味しゅうございました。

110:名無しさん@3周年
10/01/21 23:22:23 osfuT8XS
三島氏は政治活動で最も大切なのは「金銭の出どころ」だと言っていました。
約百名とはいえ、「楯の会」運動を続けるための費用はすべて三島氏個人が負担しており、外部に寄付を
依頼することはありませんでした。
三島氏の事件から六年後の一九七六年(昭和五十一年)に明るみに出た「ロッキード事件」では、
「自称愛国者」児玉誉士夫氏は米国ロッキード社と田中角栄首相のパイプ役として働き、アメリカ側から
巨額の謝礼を受けていたことが判明し、愛国者の仮面を剥がされました。
三島氏は大卒の初任給が五万円以下の時代に、年間八百万円もの私財を「楯の会」のために使い、外部に資金援助を
一切依頼せず、運動の純粋性を守り通したのでした。
三島氏が自ら自衛隊に体験入隊したあと、「祖国防衛隊構想」を財界人に説いて回ったそうですが、資本家たちは
一見「天皇主義者」のように見えても、自己の経済的利益のためなら簡単に裏切る人々だと実感したそうで、
以後、財界の資金援助を受けようとはしませんでした。

井上豊夫
「果し得ていない約束 三島由紀夫が遺せしもの」より

111:名無しさん@3周年
10/01/21 23:24:14 osfuT8XS
「楯の会」はたった百名の小さな組織でしたが権力に媚びることなく、既成右翼との接触もなく終わったのは
資金の出どころが明確だったおかげだと思います。
三島氏の金銭に対する考え方は清潔で、納税することは国民として当たり前で、「自分の払った税金が自衛隊の
戦闘機のタイヤ一本分くらいになっていると思うと嬉しく思うし、税金は安いくらいだと思う」と言っていました。
以前に瑶子夫人からお聞きしたところによると、インドへ旅行した折に大理石の美しいテーブルを見つけ、
名前を入れてもらう約束で注文したらしいのですが、奥さんが半額だけ現地で払い、残りは商品が着いてから
払えばと勧めたのに、「僕はそんなのは嫌だ」と言って全額を現地で払ったそうです。注文後、一年ほど商品が
着かず、奥さんは心配したそうですが、無事到着し、今も南馬込の三島邸の庭先に置かれていると思います。

井上豊夫
「果し得ていない約束 三島由紀夫が遺せしもの」より

112:名無しさん@3周年
10/01/25 10:10:52 RUJYmaZV
URLリンク(www.melma.com)
櫻チャンネルの社長でもある、水島総さんの文章で、三島さんに関する部分を紹介したいと思います。
水島さんは、今は亡き三浦重周・元三島研究会事務局長の追悼文も書いておられますが、心のこもったもので、今読み返しても心が震えます。
(引用開始)
「私の座右の銘のひとつに、「duruchhalten」(持ちこたえること)というドイツ語の言葉があります。これは私の尊敬するドイツの作家トーマス・マンが座右の銘にしていた言葉です。

ドイツ精神を最も体現している作家と言われるトーマス・マンは、第一次世界大戦が勃発すると、英仏側とドイツとの戦いを英仏「文明」とドイツ「文化」の戦いだとして、敢然と祖国ドイツの側に立って論陣を張りました。
その論文「非政治的人間の考察」(筑摩書房刊)は、三島由紀夫をはじめとして多くの日本の作家に深い影響を与えました。
 かく言う私もそうでした。
三島の『文化防衛論』を後で読んだ時、これはマンの焼き写しなのだという印象を持ったものでした」

113:名無しさん@3周年
10/01/25 10:12:15 RUJYmaZV
(中略)
「より大きな歴史の視点に立てば、ルネッサンスから始まった「人間中心主義」と言われたヨーロッパ近代が、決してギリシャ文明の本物の復興なのではなく、
偽物の「文芸」復興であり、その結果として、既にヨーロッパ近代主義が行き詰まり、終焉を迎えているという痛苦な認識でした。
二つの世界大戦の中で、滅びゆくヨーロッパ世界を小説を通して世界に告知し、そして「持ちこたえ」「ドイツたること」が普遍的な人類と世界の再生へ続くことを、マンはいくつかの作品群によって表わしました。
その痛切な思いと思想的苦闘を小説にした名作が、「魔の山」「ヴェニスに死す」「トニオ・クレーゲル」でした。
「魔の山」では、スイスの結核サナトリウムにおいて、主人公がヨーロッパのあらゆる近代思想を体現する人々と出会いますが、ある日、世界大戦の勃発によって、それらのヨーロッパ近代思想がことごとく破産し、吹き飛ばされるのを知ります。


114:名無しさん@3周年
10/01/25 10:13:38 RUJYmaZV
「魔の山」のラストは美しく悲しい場面です。
兵隊姿の主人公が、散兵戦の中を突撃していくのです。爆弾や銃弾が炸裂する中、走り、転び、立ち上がり、また走り出す、そんな主人公が突撃しながら何かを歌っていますが、
それはシューベルトのリンデンバウム(菩提樹)の歌でした。

 泉に添いて 茂る菩提樹
 慕いゆきては 美し夢見つ
 幹には彫(え)りぬ 懐し言葉
 嬉し悲しに 問いしその影

 今日もよぎりぬ 暗き小夜中
 真闇に立ちて 眼閉ずれば
 枝はそよぎて 語るごとし
 来よ いとし友 此処に幸(さち)あり

 面をかすめて 吹く風寒く
 笠は飛べども 捨てて急ぎぬ
 遥か離りて たたずまえば
 なおも聞こゆる 此処に幸あり
 此処に幸あり

死の散兵戦の中で、倒れていく戦友の姿を横で感じながら、主人公は突撃を続けます。
それはまさに溶解し始めた世界の中で、何としてでも生きよう、生き抜こうと戦うドイツの姿、人類の姿でした。
「わたしたちはどこにいるのだろう?あれはなんだろう? 夢に運ばれてわたしはどこへ流れついたのだろう?」 (「魔の山」より)

115:名無しさん@3周年
10/01/25 10:14:36 RUJYmaZV
「魔の山」最後の一文を紹介します。

 「この世界的な死の祭典からも、雨にぬれた夕空を焼き焦がしている悪性の熱病のような猛火からも、いつの日か愛が生まれてくるのだろうか?」

今の日本の状況について、私もこれに似た感覚を抱いています。
「魔の山」は二つの大戦の間に書かれた小説ですが、私達人間の精神的危機は、いまだ全く解決していないのです。

私たち日本人もまた、今、それぞれの草莽が日本解体の散兵戦を戦っているような気がします。私達にとってのリンデンバウム(菩提樹)は、一体何でしょうか。
 それは「日本」です。
日本の皇室であり、日本の伝統文化です」
(引用止め)

 水島さんを駆り立てているものは何か?
それが解った気がします。                
   (深井貴子)

116:名無しさん@3周年
10/01/27 22:24:40 qSSwcn2e
西郷隆盛と蓮田善明と三島由紀夫と、この三者をつなぐものこそ、蓮田の歌碑にきざまれた三十一文字の
調べなのではないか。西郷の挙兵も、蓮田や三島の自裁も、みないくばくかは、「ふるさとの駅」の
「かの薄紅葉」のためだったのではないだろうか。
滅亡を知るものの調べとは、もとより勇壮な調べではなく、悲壮な調べですらない。
それはかそけく、軽く、優にやさしい調べでなければならない。
なぜならそういう調べだけが、滅亡を知りつつ亡びて行くものたちのこころを歌いうるからだ。

江藤淳「南州残影」より

117:名無しさん@3周年
10/01/28 22:07:04 ebTZDE1D
三島は殺傷の目的でやったとは思わぬ。これは覚悟の事件でおそらく自分の考えていることを完結させる必要上、
三島から言わせれば義挙の正当防衛として妨害を排除したのであろうと私は想像する。彼は非常な愛国者であって、
日本文学の声価を国際的にも高めているし、ともかく非常に天才的な作家であるということを考えて、三島君のものは
出来るだけ読むようにしている。私が三回会ったときの印象では文武両道の達人だという印象をもったが、特に
愛情の厚い人だということを非常に感じた。

中曽根康弘
三島裁判の証言より

118:名無しさん@3周年
10/01/28 22:08:17 ebTZDE1D
実は新聞記者に内閣の考えを出せと執拗に責められたが、内閣側は黙して語らずで、官房長官もなんの発言も
しなかった。自分としてもこれはむしろ内閣官房長官が談話を発表すべきものであると思うが、止むを得ず
自分が新聞記者会見をやった。そして排撃の意思を強く打ち出したのだ。
誤解のため鳴りつづけの電話その他で、随分ひどい目に会った。
三島君が死を賭してもやらなければならんという問題については、私自身もかなり政治家としてショックを受け、
率直に申してその晩は実は一睡もしなかった状態であった。(中略)
もし実際に運動を起して蠢動するような部隊が出てきたら大変なことになると思い、断固としてあえて強い
語調の言明をしたというのが私の心境だ。

中曽根康弘
三島裁判の証言より

119:名無しさん@3周年
10/01/28 22:09:08 ebTZDE1D
訴えんとするところは理解できるが、その行動は容認できない。三島君らの死の行為の重みに対しては、我々が言葉で
とやかくいってもとても相対しうるものではないと私は思う。やはり死ということは非常に深刻厳粛なることと思う。
これに対し口舌を尽すことは好まない。しかし他面死を以て行なった行為に対して、彼はなにかを我々に
言わせようと思って死んだのかもしれない。それを黙っているということは、死という重い行為に相対するに
適当なりやという煩悶も実はあるわけで、あれこれ私は熟慮の末、この法廷に出てきたのだ。
死は精神の最終証明である。たましいの最終証明は死である。精神というものは死ぬまで叫びつづけて
いなければならない。たとえ少数であろうとも。むなしいことかも知れないが、すぐはききめがないにしても、
歴史の過程において聞いてくれる人は出るだろう―そういう期待でやったのではないかと私は把握した。

中曽根康弘
三島裁判の証言より

120:名無しさん@3周年
10/01/28 22:10:00 ebTZDE1D
三島事件とは美学的な事件、芸術上の事件ではなく、一個の思想上の事件であって、日本の思想史の上からみても
あとをひく問題になる。我々はやはり正直にそれを受けとめて、おのおのこの問題を自分で精神的に解決して
いかなければならない問題である。やった人間個人をにくむ気持はない。三青年(楯の会の)も別に情状酌量や
刑期の短縮を考えている人間ではないだろうと思う。私も情状酌量してくれとかなんとかいうことは申しません。
ただ彼らがなんでやったかということだけは十分に調べて正確に判断し、後世に示していただきたい。
檄の内容については、彼自身の祖国愛、一種の理想主義というか不易な精神、歴史的理想主義をここで鮮明にして
世を覚醒しようとした気持はわかる。我々も、これを十分にかみしめ消化すべきで、我々はこのことを回避したり
ごまかしたりしてはいけない。三島君は吉田松陰の
『かくすれば、かくなるものと知りながら、やむにやまれぬ大和魂』、そういう気持でやったのだと思う。
私は彼と考えは違うけれどもその行動自体を憎む気持よりも、むしろいたわりたい気持だ。

中曽根康弘
三島裁判の証言より

121:名無しさん@3周年
10/01/30 11:22:49 p1Kwh76D
【西田昌司】「小沢、鳩山は脱税・脱法を平気でする政治家だ!」
URLリンク(www.youtube.com)

西田昌司さんの「小沢問題と民主党の対応」1~4
URLリンク(www.youtube.com)
URLリンク(www.youtube.com)
URLリンク(www.youtube.com)
URLリンク(www.youtube.com)

122:名無しさん@3周年
10/01/31 20:36:55 OF4H8RBe
2.2 「頑張れ日本!全国行動委員会」結成大会
       & 日本解体阻止!外国人地方参政権阻止!全国総決起集会

平成22年2月2日(火)  於・日比谷公会堂

13時00分  開場
14時00分  第一部 「頑張れ日本!全国行動委員会」 結成大会
17時00分  第二部 「頑張れ日本!全国行動委員会」 日本解体阻止!外国人地方参政権阻止!全国総決起集会
20時00分  終了

主催
頑張れ日本!全国行動委員会(準備委員会)
草莽全国地方議員の会
日本文化チャンネル桜ニ千人委員会有志の会

URLリンク(www.ch-sakura.jp)

123:名無しさん@3周年
10/02/03 16:24:34 fP7sCvQa
【英霊慰霊顕彰】政治の変貌と靖国神社[桜H22/1/27]
URLリンク(www.youtube.com)

124:名無しさん@3周年
10/02/05 19:14:09 VshIxXNG
あの美輪明宏と関わりがあるのは知ってたが・・・

125:名無しさん@3周年
10/02/07 11:02:29 WuiwCqnG
「日本語の堪能な留学生が入ってくる」というので、室の者全員が待機していると、
「平岡です。よろしくお願いします」といって現れたのが、何と三島氏だった。昭和四十二年四月十九日のことだった。
彼は、久留米の陸上自衛隊幹部候補生学校で、その春防衛大や一般大学を卒業して入校したばかりの候補生を視察した後、
我々が教育を受けている富士学校普通科上級課程に「戦術の勉強をしたい」との目的で途中から加わってきたのだった。
…誰もが三島氏の研修目的を詮索したり、文学や芸術の話を持ち出したりすることもなく、ひとりの友人として
自然に接したせいか、すぐに打ち解け、室の雰囲気は一段と明るくなり、女性談義に花を咲かせたりした。
私はこの室の室長兼班長だったが、これに加え三島氏の対番学生(学友として寝食を共にしてお世話する係)を命ぜられた。

菊地勝夫
「三島氏の感激と挫折」より

126:名無しさん@3周年
10/02/07 11:04:09 WuiwCqnG
教場では平岡学生と私は一番後方の長机に並んで座り、教官から出される問題を一緒に考えた。
…三島氏は問題の意味するところや私が作る案の内容の細部を真剣に聞き、自分でも「連隊長の作戦命令の方針」を
起案して発表したこともあった。彼の案は、自衛隊の専門用語や文書の形式にとらわれていない実に力強い雅びな表現で、
固定観念に固まっている我々には、はっとさせられるものがあり、教室の雰囲気を和らげてくれた。
…夜は室で談笑したり、腹筋運動にエキスパンダーを使用したトレーニングをしたり、ある夜は自演の映画
「憂国」をクラスの全員に見せてくれたり、私といっしょに洗濯をしたりした。当時の洗濯はまだ洗濯板に
固形石鹸の時代だったので、固形石鹸をシャツにつけていた三島氏の子供っぽい仕草が今でも目に見えるようだ。

菊地勝夫
「三島氏の感激と挫折」より

127:名無しさん@3周年
10/02/07 11:05:27 WuiwCqnG
入校後一週間ぐらい過ぎた日に、私と話がしたいというので、彼が原稿を書いたり、東京から来る客と応対したり
するために充てられていた個室で、真剣な話を三時間以上も続けた。
「私は日本男子として国防に参加する名誉ある権利を有する。従って貴方たちは私に教える責任がある」
と彼は切り出し、次々と質問してきた。
その主な質問は、「クーデター」「憲法」「治安出勤」「徴兵制度」「シビリアンコントロール」についてだった。
その真剣さに私は、彼の入隊の本当の目的は、七十年安保に向かって騒然としつつある国内情勢に鑑み、特に
防衛大出身の幹部クラスの考え方や心意気、精密度などを肌で確認することにあったのではなかろうかと思った。

菊地勝夫
「三島氏の感激と挫折」より

128:名無しさん@3周年
10/02/07 11:06:33 WuiwCqnG
彼はその後、同じ富士学校で教育中の幹部レンジャー課程の学生として自衛隊で最も厳しい訓練を体験し、
爽やかな印象を残して去っていった。
以後、三島氏は「檄」文に表現されたような感激を自衛隊で体験していくことになる。
三島氏は民間防衛を荷う祖国防衛隊を組織する夢を抱き、四十三年春、まず厳選された学生三十名を連れて
富士教導連隊で一ヶ月間の訓練を受けることからはじめた。
自衛隊にとっては三島氏のような知識人に自衛隊を理解してもらうことは歓迎すべきことであり、さらに、将来、
国の広い分野でリーダーとして活躍するであろう大学生の体験入隊は、特に当時の状況から願ってもないことであって、
マスコミによって潰されないように配慮して受け入れたものである。

菊地勝夫
「三島氏の感激と挫折」より

129:名無しさん@3周年
10/02/07 11:10:00 WuiwCqnG
しかし、全国組織を目指した祖国防衛隊の構想は、政財界の協力が得られずに挫折し、自分の力で世話のできる
少数精鋭の「縦の会」へと展開していく。そして彼は彼なりの情勢分析により、自衛隊が治安出勤する事態が
来ると信じるようになる。「縦の会」は自衛隊の尖兵としてデモ隊に突入し、あるいは皇居に乱入する暴徒に
体当たりで斬り死にするという考えに変わっていったものと思われる。
だが、四十四年の一〇・二一反戦デーの騒乱で、自衛隊の治安出勤は起こりえないと見てとった時、ほんとうの
挫折を味わい、三島氏は自衛隊にとって象徴的な場所で、自衛官たちに心の叫びで訴え、武士の最期を遂げたのだった。

菊地勝夫
「三島氏の感激と挫折」より

130:名無しさん@3周年
10/02/08 22:36:06 pGUxFDMl
菊地勝夫が自衛隊の代表面をするのはいただけない。
バカを騙して印税稼ぎでもしたかったんだろうがな。


131:名無しさん@3周年
10/02/08 22:40:10 nBnPyIPO
URLリンク(image.blog.livedoor.jp)

(;´Д`)

132:名無しさん@3周年
10/02/11 08:48:21 ahwgjQD/
>>130
その辺の機微が分からん奴は多いな。
機密を売りにしていた職業の人間が
ペラペラ喋り始めた時は割り引いて考えないと。
秘密は墓場まで持って行くのが諜報に携わるものの義務なんじゃないか?
佐藤優のロシア情報とか佐々淳行の警察情報とか
そのまんま信じてるといいカモになる。
こいつら基本的にただの目立ちたがりなんじゃないかと思う。


133:名無しさん@3周年
10/02/11 08:52:01 ZTkZXv0E
まあ
長生きすることしか考えなくなったら
旧自民公明政権に何も言えないいんちき政権になるのはガチ

134:名無しさん@3周年
10/02/11 08:54:47 ZTkZXv0E
革命しようというのが本気の言葉なら
逮捕される
殺される
なんて当たり前と思わないと

逮捕されるのでできましぇ~ん

所詮民主党なんてそんな程度

135:名無しさん@3周年
10/02/11 09:52:54 5hZlQhbz
>>132
>>130
別に菊地氏は諜報に関わる秘密も機密もペラペラ書いてませんが。

136:名無しさん@3周年
10/02/11 15:57:18 ahwgjQD/
自衛隊の機密が分かっている奴が2ちゃんに書き込みするとは思えない。
といつも思う。


137:名無しさん@3周年
10/02/14 10:55:39 2bPCH8Vd
「先生は自分が弱かったから、強いものに憧れて、強い人間になりたいということで、鍛え上げたんでしょう」
のちに下士官から将校に昇進するための幹部候補生試験に合格して久留米の幹候生学校で教育を受けているとき、
山内は毎日の授業や実習をおさらいするつもりで、講義の要点をまとめ、その日一日を振り返った反省点などを、
日記を綴るようにノートに書きためていた。
…表紙がすっかり黄ばんだノートの冒頭には、自衛隊の将校になるにあたっての決意がしたためられている。
誰に見せるわけでもなく、自らに言い聞かせるただそれだけのために書いた一文の中で、山内は、三島から
「山内さんはこのような人に見える」と言われて、色紙に『純忠』という言葉を授かったことをしるし、
さらにこうつづけていた。
〈いまも私の宝として、好漢森田必勝君とともに終生先生との思い出を忘れない。忘れることができないであろう。
そして、純忠の言葉通り私も生きたいものだ。〉

杉山隆男
「兵士になれなかった三島由紀夫」より

138:名無しさん@3周年
10/02/14 10:56:04 2bPCH8Vd
(中略)山内は、あの日、市ヶ谷のバルコニーで「諸君は武士だろう!」と絶叫の響きをにじませながら
訴える三島の声をかき消すように、嘲笑や罵声を浴びせた隊員たちにむしろ「腹が立ち」、「平岡先生を
悪者にしてはいけないということしか頭に浮かばなかった」という。三島への尊敬の念が強まることはあれ
薄まることはなかったのである。
そんな山内も、終生先生との思い出を忘れない、と書きとめたノートのなかで、〈私は先生に会う以前、
三島由紀夫とはつまらぬ小説家であろうと思っていた〉と明かしている。(中略)
それが「尊敬」へと180度変わったのは、生身の三島に触れて、たとえ弱さがあっても、そんな自分から決して
逃げることはせず、むしろ真正面から立ち向かって、より強くなろうとする三島の真摯な姿を間近でみつめてからだった。

杉山隆男
「兵士になれなかった三島由紀夫」より

139:名無しさん@3周年
10/02/14 10:56:37 2bPCH8Vd
ひたむきな三島に心動かされたのは山内ひとりではなかった。体験入隊してきた三島を、時には「平岡ッ」と
本名で呼び捨てにしながら、手加減せず厳しく指導してきた教官や助教も、あるいはともに汗を流し、
隣り合わせのベッドで眠った訓練仲間の学生も、少なくとも私が話を聞いたすべての元兵士たちが口を揃えて、
鍛え上げられた上半身に比べて足腰の弱さが際立つ、三島の中のアンバランスを指摘しながら同時に、三島の
愚直なまでの一途さにすがすがしいものを覚えていた。
要するに彼ら全員が、兵士になろうとして、世界のミシマとは別人のように弱さも含めてすべてをさらけ出した
人間三島に惚れこんだのである。

杉山隆男
「兵士になれなかった三島由紀夫」より

140:名無しさん@3周年
10/02/14 10:57:04 2bPCH8Vd
学生を引き連れた滝ヶ原での最初の体験入隊で、山内や河面と同じく、助教をつとめた江河弘喜は、三島の
人となりについてこう語っている。
「紳士でした。まじめでした。もう真面目そのものでした」
…そして三島の真面目さは、律義と呼びかえてもよいものであることを、江河は自らの体験で知っている。
というより、三島の律義さを、江河は片時も忘れ得ぬしるしとして受け取っているのである。
体験入隊に臨んでいた三島に、江河は或る「お願い」をしていた。近々産まれてくる自分のはじめての子供に
名前をつけてもらえないかと頼んだのである。三島は二つ返事で快く引き受けてくれた。
(中略)いまも江河が大切に保存している三島からの手紙の日付は土曜日の二十五日になっているから、女児誕生の
報せを受けてすぐに筆をとったことになる。

杉山隆男
「兵士になれなかった三島由紀夫」より

141:名無しさん@3周年
10/02/14 10:57:30 2bPCH8Vd
〈どうしても可愛がりすぎてしまふ第一子は、女のお児さんがよろしく〉と、やはり第一子に女の子を授かった
自身の経験を引きながら、三島は手紙の中で、〈人生最初に得る我児は、何ものにも代へがたく、一挙手一投足が
驚きでありよろこびであり、……天の啓示の如きものを感じますね〉とその感動を素直に綴っていた。
候補としてあげた三通りの名前については、それぞれについて、…(略)…〈一長一短〉があることを断った上で、
三つの中から〈御自由に〉選ぶように書き添え、さらに別便でいかにも愛らしい淡いピンクと水色の産着を
一着ずつ届けて寄越す、こまやかな心の砕きようであった。

杉山隆男
「兵士になれなかった三島由紀夫」より

142:名無しさん@3周年
10/02/14 10:58:01 ms4cPsSG
>>1
どんな思想を持っていようが構わんが、死者に鞭を打つ行為は最低だな。

143:名無しさん@3周年
10/02/20 10:13:48 Jq/3fgse
あの日、一九七〇年十一月二十五日、私は十八歳になった。高校三年生である。(中略)
その日の昼下がりも、窓いっぱいにさしこんでくる柔らかな陽の光につつまれて、私はついついまどろみそうに
なりながら、午後の授業の開始を告げるチャイムが鳴ったのも気づかないほどだった。ほどなくして古文を
受け持っていた教師が教室に入ってきた。微かに東北訛りの残る、穏やかな語り口で、ふだんは授業以外の
余計なことはめったに口にしない人なのだが、この日に限って、教科書をひらく前にこう切り出したのである。
「つい先ほどのことですが、三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊に乱入して割腹自殺を遂げたそうです」
思いもよらないニュースを先生の口から知らされたとたん、教科書やノートをひらきかけていた生徒の動きが
一瞬止まり、次いで教室にどよめきが走った。(中略)
しばらくは教室のあちこちでざわめきが尾を曳いていたが、それも教師が古(いにしえ)びとの歌を朗々と
詠じはじめるうちにしだいに静まっていった。しかし、私はひとり胸の動悸を収めることができずにいた。

杉山隆男
「兵士になれなかった三島由紀夫」

144:名無しさん@3周年
10/02/20 10:14:25 Jq/3fgse
こんなところで平安貴族が詠んだ歌について悠長に解釈をあれこれ考えている場合ではないだろう。ともかく
市ヶ谷に行かなければ……。と言って、駈けつけても、何をしようなどという考えがもとよりあったわけではない。
ただ、じっと教室の椅子に座って、授業を受けていることが、いまこの瞬間の過ごし方としてはひどく間が抜けて
いるように思えてならなかった。居ても立ってもいられなかったのである。私は鞄に教科書など一式をしまいこむと、
腰を屈めたままの姿勢で席を離れ、教師が黒板に向かっている隙に教壇の横をすり抜けて出口に向かった。
(中略)私が通っていた都立日比谷高校から市ヶ谷は距離にして二キロ弱、(略)市ヶ谷の駅へと通じる下り坂を
下りるにつれて、上空を旋回するヘリの爆音が二重三重に輪をかけて大きくなっていく。外濠にかかる橋を渡り、
駐屯地の前に出ると、正面ゲートだけでなく、ヤジ馬が鈴なりになった周囲の歩道にも制服警官や機動隊員が
多数配置され、あたり一帯は異様な空気につつまれていた。

杉山隆男
「兵士になれなかった三島由紀夫」より

145:名無しさん@3周年
10/02/20 10:14:56 Jq/3fgse
私はただその場から立ち去りがたいという思いに引きずられて小一時間ほど佇んでいたが、やがて、あの門の向こうで
三島が自決したんだと自らに言い聞かせるようにいま一度眼を見ひらき、駐屯地の奥を見据えて、脳裏にその情景を
しっかりと刻みこんでから、相変わらず上空をヘリが舞い、(略)騒然とした雰囲気の中、歩いて市ヶ谷から
九段の坂を通り、神保町の自宅に帰った。(中略)
自宅の神棚には、鯛のお頭付きと三越の包装紙につつまれたケーキの箱が供えられていた。家族の誕生日の、
それが我が家の習わしであった。私は、その夜のささやかな祝宴の主賓であったにもかかわらず、鯛にもケーキにも
手をつける気には到底なれなかった。
その日からずっと、私の中で、「三島由紀夫」は生きつづけているような気がする。いまになって思えば、
自衛隊に兵士たちを訪ねて歩く取材をはじめたのも、三島由紀夫抜きには考えられないのだった。

杉山隆男
「兵士になれなかった三島由紀夫」より

146:名無しさん@3周年
10/02/20 10:15:31 Jq/3fgse
私は生涯にただ一度きり、生身の三島を間近にしている。
…私が三島を眼にしたのは、他でもない自衛隊の観閲式においてであった。学校新聞の取材と称して式典への参加を
願い出た高校一年生、十五歳だった私に、防衛庁は各国の駐在式官が陣取った来賓席を用意してくれていた。
肩から金モールを下げ、礼装の軍服に身をつつんだ式官や華やいだ装いの夫人たちに囲まれて席についていると、
式官の一団が突然、「起立!」と号令をかけられたみたいに夫人ともどもいっせいに立ち上がった。私も、
傍らに座る、観閲式に無理矢理つきあわせた級友のTと一緒に思わず立ち上がっていた。式官たちは全員二時の
方向を向いて、手を制帽の眼庇にかざし挙手の礼をとっている。(略)彼らが敬礼を送っている相手は最初は
見えなかったが、相手の動きとともに、敬礼する式官たちの体の向きも変わってゆき、やがて彼らがほぼ真横を
向いたところで、ならび立つ軍服の間から三島が姿をあらわしたのである。

杉山隆男
「兵士になれなかった三島由紀夫」より

147:名無しさん@3周年
10/02/20 10:16:07 Jq/3fgse
細身のスーツを着こなした三島は自らも右手をかざして式官たちの敬礼に応えながら、瑤子夫人を伴って、
私とTが立っている席のすぐ前の席に腰を下ろした。
私の視線は、傍らの駐在式官から挨拶を受け、にこやかに何ごとか語らっている三島に釘付けになっていた。
間近も間近、手を伸ばせば触れるようなすぐそこに、三島由紀夫がいることに私は興奮して、級友のTの肘を
つつきながら、「ミシマだよ、ミシマがいるよ」と熱に浮かされたようにうわごとめいたつぶやきを繰り返していた。
音楽隊が奏でる勇壮なマーチに乗って、陸海空各部隊が一糸乱れず分列行進をしたり、(略)迫力あるシーンは
どれもはじめてじかに眼にするものばかりだったはずなのに、どういうわけか、記憶に灼きついているのは
三島の姿だけなのである。
たった一度だけ三島を眼にした場が自衛隊の式典であり、それから二年あまりのうちに、自分の十八回目の誕生日に
三島が自衛隊で自決を遂げたことは、私の中で不思議な暗号として捉えられた。

杉山隆男
「兵士になれなかった三島由紀夫」より

148:名無しさん@3周年
10/02/20 10:18:28 Jq/3fgse
いつしか私は、三島由紀夫と、自衛隊と、自分自身とを何か運命的なもののように重ね合わせて考えるようになっていた。
(中略)三島は、自衛隊に何を見、何を期待し、何に絶望していったのか。(略)答えがみつかるはずもない
その問いかけを、鈴振るように胸に響かせながら、私もまた自衛隊のゲートをくぐったのであった。
当初私は、三島が丸三年半にわたる自衛隊体験の中では、自衛隊を第一線で支える、もの言わぬ隊員たちの素顔に
間近に接して、彼らの心情に分け入るまでには至らなかったのではないかと思っていた。(中略)
しかし、三島が死に場所に選んだ自衛隊をこの眼で見、全身で感じてみたいと思い、はじめた平成の兵士たちを
訪ねる旅の第一歩からほぼ十五年の年月が流れ、その旅をいよいよ終えようといういまになって、私の眼には、
三島の眼差しの先にあったものがかつてとは違ったように見えてきたのである。

杉山隆男
「兵士になれなかった三島由紀夫」より

149:名無しさん@3周年
10/02/20 10:18:54 Jq/3fgse
(中略)
〈…自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終るであらう〉という三島の予言は、その死から四十年近くたったいま、
ますます説得力を帯びた切実な響きで聞こえてくる。そうなってみると、十五年前には迂闊にも気づかなかったことだが、
三島が知っていた自衛隊とは、決して〈武器庫〉や〈階級章〉だけではなかったように思われてきたのである。
死の二ヶ月前、三島は、「楯の会」の会員たちと体験入隊を繰り返し、彼が自衛隊でもっとも長い時間を過ごした
滝ヶ原分屯地の隊内誌『たきがはら』に一文を寄せている。その中で三島は、自分のことを、
〈二六時中自衛隊の運命のみを憂へ、その未来のみに馳せ、その打開のみに心を砕く、自衛隊について
「知りすぎた男」になつてしまつた〉と書いていた。じっさい「知りすぎた」三島は、『檄』にも書きとめた通り、
〈アメリカは眞の日本の自主的軍隊が日本の國土を守ることを喜ばないのは自明である〉という自衛隊の本質を
見抜いていたがゆえに、自衛隊の今日ある姿を予見することができたのだろう。

杉山隆男
「兵士になれなかった三島由紀夫」より

150:名無しさん@3周年
10/02/20 10:19:21 Jq/3fgse
隊員ひとりひとりが訓練や任務の最前線で小石を積み上げるようにどれほど地道でひたむきな努力を重ねようとも、
アメリカによってつくられ、いまなおアメリカを後見人にし、アメリカの意向をうかがわざるを得ない、すぐれて
政治的道具としての自衛隊の本質と限界は、戦後二十年が六十余年となり、世紀が新しくなっても変わりようが
ないのである。
私が十五年かけて思い知り、やはりそうだったのか、と自らに納得させるしかなかったことを、三島は四年に
満たない自衛隊体験の中でその鋭く透徹した眼差しの先に見据えていた。
もっとも日本であらねばならないものが、戦後日本のいびつさそのままに、根っこの部分で、日本とはなり得ない。
三島の絶望はそこから発せられていたのではなかったのか。

杉山隆男
「兵士になれなかった三島由紀夫」より

151:名無しさん@3周年
10/02/20 21:57:34 qKVCFeko
20日午後5時ごろ、福岡県大木町絵下(えげ)古賀、福岡県警の元警察官、川上二六(にろく)さん(69)が自宅前で拳銃で撃たれた。犯人は5、6発発射し、うち3発が川上さんの右足にあたり重傷。直後にバイクで逃走しており、県警は殺人未遂事件として捜査を始めた。
県警大川署によると、川上さんは自宅前で車から降りたところを撃たれた。大腿(だいたい)部にあたった1発は貫通したという。意識はあり命に別条はない。犯人は帽子をかぶり眼鏡を着用しマスクをしていた。
川上さんは瀬高署勤務を最後に01年に退職。柔道が強かったという。
川上さん宅の隣人の女性は「畑作業の最中にパンパンと連続して4回くらい聞き慣れない音がした。川上さんは人柄も良く、人に恨まれることはないと思う」と話す。女性によると、川上さんは母、妻、娘夫婦、孫らと暮らしている。
現場は西鉄久留米駅から南西に約15キロの住宅街。

杉山隆男
「兵士になれなかった三島由紀夫」より

152:名無しさん@3周年
10/02/21 12:31:25 /BCFFZzs
[西村眞悟ホームページ・眞悟の時事通信]
小沢一郎のこと
URLリンク(www.n-shingo.com)

153:名無しさん@3周年
10/02/22 12:23:35 kzV19xRp
……今、四海必ずしも波穏やかならねど、
日の本のやまとの国は
鼓腹撃壌(こふくげきじやう)の世をば現じ
御仁徳の下(もと)、平和は世にみちみち
人ら泰平のゆるき微笑みに顔見交はし
利害は錯綜し、敵味方も相結び、
外国(とつくに)の金銭は人らを走らせ
もはや戦ひを欲せざる者は卑劣をも愛し、
邪まなる戦(いくさ)のみ陰にはびこり
夫婦朋友も信ずる能(あた)はず
いつはりの人間主義をたつきの糧となし
偽善の団欒は世をおほひ
力は貶(へん)せられ、肉は蔑(なみ)され、
若人らは咽喉元をしめつけられつつ
怠惰と麻薬と闘争に
かつまた望みなき小志の道へ
羊のごとく歩みを揃へ、
快楽もその実を失ひ、信義もその力を喪ひ、
魂は悉(ことごと)く腐蝕せられ
年老いたる者は卑しき自己肯定と保全をば、
道徳の名の下に天下にひろげ
真実はおほひかくされ、真情は病み、
道ゆく人の足は希望に躍ることかつてなく
なべてに痴呆の笑ひは浸潤し

三島由紀夫
「英霊の声」より

154:名無しさん@3周年
10/02/22 12:24:28 kzV19xRp
魂の死は行人の顔に透かし見られ、
よろこびも悲しみも須臾(しゆゆ)にして去り
清純は商(あきな)はれ、淫蕩は衰へ、
ただ金(かね)よ金よと思ひめぐらせば
人の値打は金よりも卑しくなりゆき、
世に背く者は背く者の流派に、
生(なま)かしこげの安住の宿りを営み、
世に時めく者は自己満足の
いぎたなき鼻孔をふくらませ、
ふたたび衰へたる美は天下を風靡し
陋劣(ろうれつ)なる真実のみ真実と呼ばれ、
車は繁殖し、愚かしき速度は魂を寸断し、
大ビルは建てども大義は崩壊し
その窓々は欲球不満の蛍光灯に輝き渡り、
朝な朝な昇る日はスモッグに曇り
感情は鈍磨し、鋭角は磨滅し、
烈しきもの、雄々しき魂は地を払ふ。
血潮はことごとく汚れて平和に澱み
ほとばしる清き血潮は涸れ果てぬ。
天翔(あまが)けるものは翼を折られ
不朽の栄光をば白蟻どもは嘲笑(あざわら)ふ。
かかる日に、
などてすめろぎは人間(ひと)となりたまひし

三島由紀夫
「英霊の声」より

155:名無しさん@3周年
10/02/22 21:34:28 tBz0mSWI
かっぽれかっぽれ 甘茶でかっぽれ 
ヨイトナヨイヨイ
沖の暗いのに白帆がサー 見ゆる ヨイトコリャサ 
あれは紀の国 ヤレコノコレワノサ
ヨイトサッサッサ みかん船じゃエー 
サテみかん船 みかん船がサー 見ゆる
ヨイトコリャサ あれは紀の国 
ヤレコノコレワノサ ヨイトサッサッサ 
みかん船じゃエー

豊年じゃ万作じゃ 明日は旦那の稲刈りで 
小束にからげてちょいと投げた
投げた枕に 投げた枕に咎はない 
オセセノコレワイサノ 
尾花に穂が咲いた この妙かいな

ねんねこせ ねんねこせ 
ねんねのお守はどこ行った 
あの山越えて里行った
お里のお土産に何貰うた 
でんでん太鼓に笙の笛
寝ろてばよ 寝ろてばよ 
寝ろてば寝ないのか この子はヨー

三島由紀夫
「英霊の声」より

156:名無しさん@3周年
10/02/27 13:25:37 +bAz5g9A
「強姦で逮捕された在日の一覧表」
URLリンク(koreanscrime.artshost.com)

157:名無しさん@3周年
10/02/28 13:29:10 9mzM357v
私の貧しい感想が、この本に何一つ加へるものがないことを知りながら、次の三点について読者の注意を
促しておくことは無駄ではあるまいと思ふ。
第一は、もつとも苛烈な状況に置かれたときの人間精神の、高さと美しさの、この本が最上の証言をなしてゐることである。
玉砕寸前の戦場において、自分の腕を切つてその血を戦友の渇を医やさうとし、自分の死肉を以て戦友の飢を
救はうとする心、その戦友愛以上の崇高な心情が、この世にあらうとは思はれない。日本は戦争に敗れたけれども、
人間精神の極限的な志向に、一つの高い階梯を加へることができたのである。
第二は、著者自身についてのことであるが、人間の生命力といふもののふしぎである。
舩坂氏の生命力は、もちろん強靭な精神力に支へられてのことであるが、すべての科学的常識を超越してゐる。

三島由紀夫
「序 舩坂弘著『英霊の絶叫』」より

158:名無しさん@3周年
10/02/28 13:29:38 9mzM357v
あらゆる条件が氏に死を課してゐると同時に、あらゆる条件が氏に生を課してゐた。まるで氏は、神によつて
このふしぎな実験の材料に選ばれたかのやうだ。(中略)
体力、精神力、知力に恵まれてゐたことが、氏を生命の岸へ呼び戻した何十パーセントの要素であつたことは
疑ひがないが、のこりの何十パーセントは、氏が持つてゐたあらゆる有利な属性とも何ら関はりがないのである。
それでは、ひたすら生きようといふ意志が氏を生かしてゐたか、といふと、それも当らない。氏は一旦、はつきりと
自決の決意を固めてゐたからである。

三島由紀夫
「序 舩坂弘著『英霊の絶叫』」より

159:名無しさん@3周年
10/02/28 13:30:10 9mzM357v
氏が拾つた命は、神の戯れとしか云ひやうがないものであつた。その神秘に目ざめ、且つ戦後の二十年間に、
その神秘に徐々に飽きてきたときに、氏の中には、自分の行為と、行為を推進した情熱とが、単なる僥倖としての
生以上の何かを意味してゐたにちがひない、といふ痛切な喚起が生じた。その意味を信じなければ、現在の生命の
意味も失はれるといふぎりぎりの心境にあつて、この本が書き出されたとき、「本を書く」といふことも亦、一つの
行為であり、生命力の一つのあらはれであるといふことに気づくとは、何といふ逆説だらう。氏はかう書いてゐる。
「彼ら(英霊)はその報告書として私を生かしてくれたのだと感じた」
(中略)そして氏の見たものは、他に一人も証人のゐない地獄であると同時に、絶巓における人間の美であつた。

三島由紀夫
「序 舩坂弘著『英霊の絶叫』」より

160:名無しさん@3周年
10/02/28 17:06:22 p6x3fZjs
児童ポルノみたいに善悪の倫理からはずれた
おぞましい異常性欲を肯定するような快楽至上主義者のネトウヨにとっては
このような人物が自分を補完してくれるようで魅力的なんだろうな
あと澁澤龍彦とかも

161:名無しさん@3周年
10/02/28 17:50:50 9mzM357v
>>160
よく知らないからって、安易なカテゴリーでレッテル貼りしても、見解がズレてて何の説得力ない煽りでした。


162:名無しさん@3周年
10/02/28 21:56:33 Tu1eL+og
>>161
お前のレッテル貼りの方が安易で醜い。
三島以外の本も読んでみろ。
もっと人に会って人生経験も積め。
責任ある仕事をこなしてみろ。
三島が疎まれる理由の第一はお前のような腑抜けが
自己弁護に利用するからだろうが。


163:俺、左翼だけど三島評価してます
10/02/28 22:19:21 /JHEzu71
三島は小説や評論とかの文章でしか知らないけど、
非常に正直で純粋な人だったと思うな。
イメージとは違って、信頼できる人間のような気がするね。

彼の主張はもっともなんだよね。
彼は、戦時中は虚弱で文弱の徒として、いじめられていたんだ。
実際、徴兵も体格虚弱で猶予になるくらいだったんだね。
だから、屈強な同輩や農民たちが兵士として出征していくことに
引け目を感じていたわけさ。
でも、日本の戦争目的は国民としては、支持してた。

ところが、敗戦を境に突然、世間の評価が逆転してしまう。
戦争に負けた、物理的に負けただけで、戦死した同輩たちは犬死なわけ?
彼がそう感じるのはもっともなことだと思う。
その憤りで文弱の徒から右翼、ボディビルダーや剣士になった。

彼は戦場に行けなかったことにこだわった最後の日本兵ってところ。
でも、彼のこだわりは正当だよね。
世間がおかしかったと俺も同意するね。



164:名無しさん@3周年
10/02/28 22:57:57 9mzM357v
>>162
またレッテル貼りか。
そういうふうに簡単に知りもしない相手を見下すあんたがもっと人生修業すべきでしょう。
三島読者と聞けばネットウヨとか決めつけるその無知自体があんたの間抜けを晒してますよ。

165:名無しさん@3周年
10/03/01 00:04:39 VVQb4fi/
ハァ 踊り踊るなら チョイト東京音頭 ヨイヨイ
花の都の 花の都の真中で サテ
ヤットナ ソレ ヨイヨイヨイ ヤットナ ソレ ヨイヨイヨイ

ハァ よせて返して チョイト返して寄せる ヨイヨイ
東京繁昌の 東京繁昌の人の波 サテ
ヤットナ ソレ ヨイヨイヨイ ヤットナ ソレ ヨイヨイヨイ

ハァ 昔や武蔵野 チョイト芒の都 ヨイヨイ
今はネオンの 今はネオンの灯の都 サテ
ヤットナ ソレ ヨイヨイヨイ ヤットナ ソレ ヨイヨイヨイ

ハァ 花は上野よ チョイト柳は銀座 ヨイヨイ
月は隅田の 月は隅田の屋形船 サテ
ヤットナ ソレ ヨイヨイヨイ ヤットナ ソレ ヨイヨイヨイ

ハァ おさななじみの チョイト観音様は ヨイヨイ
屋根の月さえ 屋根の月さえなつかしや サテ
ヤットナ ソレ ヨイヨイヨイ ヤットナ ソレ ヨイヨイヨイ

ハァ 西に富士の嶺 チョイト東に筑波 ヨイヨイ
音頭とる子は 音頭とる子はまん中に サテ
ヤットナ ソレ ヨイヨイヨイ ヤットナ ソレ ヨイヨイヨイ

三島由紀夫
「序 舩坂弘著『英霊の絶叫』」より

166:名無しさん@3周年
10/03/06 11:32:39 FeYqfpKN
…「三島由紀夫」をきわめて高く評価している。
その理由は拙著『戦後的思考』(1999年)に記した通りで、規定の枚数ではちょっと書けない。
できれば読んでいただきたいが、彼こそが、昭和天皇と戦争の死者の間の「約束違反」と、またそれと自分の関係に
目を向けた、そしてモラルということの初原の感覚を失わなかった、例外的な戦後日本人だったからである。
三島は、戦後の小説家のうち、もっとも「戦後的」な作家だったといってよい。
戦後の天皇制から、一個人として、もっとも外に出ていた。
三島一人がいたお陰で、日本の戦後は道義的に、大いなる茶番の時代となることからかろうじて免れた、
といえるのではないかと思っている。

加藤典洋
「アンケート 三島由紀夫と私」より

167:名無しさん@3周年
10/03/07 01:40:42 i13X0zUa
…米連邦捜査局(FBI)のロバート・モラー長官は4日、武装勢力や外国政府、犯罪組織が米国の官民のコンピューターネットワークを標的にしており、米国の安全保障への脅威が増していると述べた。
モラー長官は、当地で開催されたインターネットの安全性に関する会合で講演。
「テロリストたちは、ハッキングの技術を得ることに明白な関心を示している。
物理的な攻撃とサイバー攻撃を組み合わせることを念頭に置き、メンバーを訓練するか、もしくは外部から人を雇い入れるだろう」と述べた。
また、特定の国名を挙げることは差し控えたが、一部の外国政府がインターネットを情報活動に使おうとしていると非難。
「テロリストの脅威とは別に、一部の国家はインターネットを政治目的で攻撃の手段として使っているのではないか」と語った。

加藤典洋
「アンケート 三島由紀夫と私」より

168:名無しさん@3周年
10/03/07 12:30:48 WQTseUYd
深き夜に暁告ぐるくたかけの若きを率てぞ越ゆる峯々 公威書

碑文
自衛隊富士学校滝ヶ原駐屯地、追悼碑

169:名無しさん@3周年
10/03/07 22:15:46 i13X0zUa
そうです、ワダスが、変なおじさんです 公威書

碑文
自衛隊富士学校滝ヶ原駐屯地、追悼碑

170:名無しさん@3周年
10/03/09 15:29:14 ICqe4lwn
わたしの考えでは、一九六六年に書かれた「英霊の声」は、日本の戦後にとってたぶんもっとも重要な作品の一つである。
この作品には、作者の分身と目される語り手「私」とやはり作者の分身である霊媒の盲目の美少年が登場し、
帰神(かむがかり)の会で後者の語る死者の声を前者が聞くが、霊媒者となり、二・二六事件と特攻隊の死者の声を
口寄せする青年は、降霊が終わると落命する。見るとその顔はすっかり面変わりしている。
後に明らかにされる三島自身の証言では、青年は死んで昭和天皇の顔になるのである。この作品で三島が言うのは、
自分のために死んでくれと臣下を戦場に送っておきながら、その後、自分は神ではないというのは、(逆説的ながら)
「人間として」倫理にもとることで、昭和天皇は、断じて糾弾されるべきだということ、しかし、その糾弾の主体は、
もはやどこにもいないということである。
戦争の死者を裏切ったまま、戦前とは宗旨替えした世界に身を置き、そこで生活を営んでいる点、彼も同罪である。
糾弾者自身の死とひきかえにしかその糾弾はなされない。
そういう直感が、この作品の終わりをこのようなものにしている。

加藤典洋
「その世界普遍性」より

171:名無しさん@3周年
10/03/09 15:29:39 ICqe4lwn
ところで、わたしは、日本の戦後に三島のような人間がいてくれたことを日本の戦後のために喜ぶ。
わたしがこう言ったとしてどれだけの人が同意してくれるかわからないが、彼がいるといないとでは、日本の
戦後の意味は、大違いである。
その考え方には、誰もが、もしどのような先入観からも自由なら、こう考えるだろうというような普遍的な
みちすじが示されている。
三島は、日本の戦後のローカルな論理、いわばその「内面」に染まらず、普遍的な人間の考え方を示すことで、
はじめて日本の戦後の言語空間がいかに背理にみちたものであるかを、告知している。
これは、旧ドイツにおけるアンセルム・キーファーなどとほぼ比較可能なあり方であり、もし三島がいなければ、
日本の戦後は、一場の茶番劇になり終わるところだった。

加藤典洋
「その世界普遍性」より

172:名無しさん@3周年
10/03/09 15:30:05 ICqe4lwn
たしかに彼の作品は、化粧タイルのような人工的な文体を駆使して書かれている。…でも、そのことが、
三島の小説を世界の文脈で見た場合の、「世界の戦後」性にたえる制作物にしている。(中略)
三島は戦前、レイモン・ラディゲの「ドルジェル伯の舞踏会」に夢中になる。でもそのラディゲの作がすでに
第一次世界大戦の戦後文学だった。そのもっとも深い理解者は、あのジャン・コクトーである。
その心理小説に心理がなく心理の剥製があること、しかしそのことこそがその第一次世界大戦の戦後文学で
めざされていること、そしてそのようなものとして、それが三島の戦前と戦後の指標たり続けること。
つまり、人工性はここでは、世界性、現代性の明らかな指標なのである。
「世界の戦後」とは第一次世界大戦の戦後のことであり、「日本の戦後」とは第二次世界大戦の戦後のことである。
この二つは同じではない。簡単に言うなら、前者の戦後で、人と世界は壊れ、後者の戦後で、人と世界は
自分を修復している。

加藤典洋
「その世界普遍性」より

173:名無しさん@3周年
10/03/09 15:30:32 ICqe4lwn
サルトルの「嘔吐」は第一次世界大戦の戦後文学であって、そこで彼は人が壊れたこと、そこからの回復には
アヴァンチュール(芸術と犯罪)による特権的瞬間しかないことを述べている。
しかしその彼が、第二次世界大戦の戦後になると、アンガジュマンによる人間の回復を唱える。
三島は、戦前のサルトルに似ている。わたし達は、ここでは、そこに二つの戦後の重層(ズレ)があることに
自覚的であるべき、「遅れてきた青年」なのである。
〈ラディゲから影響を受けてゐた時代はほとんど終戦後まで続いてゐた。さうして戦争がすんで、日本にも
ラディゲの味はつたやうな無秩序が来たといふ思ひは、私をますますラディゲの熱狂的な崇拝者にさせた。
事実、今になつて考へると、日本の今次大戦後の無秩序状態は、ヨーロッパにおける第二次大戦後の無秩序状態
よりも第一次大戦後の無秩序状態に似てゐたと思はれる。(「わが魅せられたるもの」一九五六年)〉
こういう洞察がなぜ当時、三島にだけ可能だったか。
そういうことをわたしとしてはいま、改めて、考えてみたいと思っている。

加藤典洋
「その世界普遍性」より

174:名無しさん@3周年
10/03/10 00:09:49 6732s8Nz
…私の知るかぎり、三島は、ある種の危険を冒しても、ものごとを素直に述べようとする人であり、しかも
その発言は、私にいろいろと考えさせることが多いからである。三島という人は、世評によれば、それこそ
海千山千のしたたかな才子であるのかもしれないが、私はほとんどそうは思わない。
私見はいつか三島由紀夫伝めいたもので述べたことがあるが、私は三島を(国木田独歩流にいえば)一種の
「非凡なる凡人」としか考えたことはない。そして、そういう愚直な人物の正直な発言というものは、近頃では
稀少価値をさえもっているのではないかと思う。自分の眼で、自分の直覚でものごとをとらえることのできる人間は
(少なくとも、もの書きの世界では)だんだんと少なくなっているのではないかと私はひが目で見ているのだが、
三島はそうでない人物の一人に見えるからである。そして、そういう人物の書いたり、したりすることは、
私などにはいつも共感と刺激の種になるからである。

橋川文三
「美の論理と政治の論理」より

175:名無しさん@3周年
10/03/10 00:10:31 6732s8Nz
私は、研究室で突然三島の死を聞いたとき、どういうわけかすぐに連想したのは、高山彦九郎であり、神風連であり、
横山安武であり、相沢三郎などであった。
これらの人々の行動はいずれも常識を越えた「狂」の次元に属するものとされている。この「狂」の伝統が
どのようにして、日本に伝えられているのか、それはまだだれもわからないのではないだろうか。ただ、すべての
「異常」な行動を「良識」によって片づけることは、これまでの日本人の心をよくとらえ切っていない。日本人は、
否、人間は、自分の内部の「狂」をもっと直視すべきではないだろうか。
三島は私の知るところでは非常に「愚直」な人物である。私のいう意味は、幕末の志士たちのいう「頑鈍」の
精神であり、私としてはほめ言葉である。(中略)
私は三島をノーベル賞候補作家というよりも、その意味では、むしろ無名のテロリスト朝日平吾あるいは
中岡良一などと同じように考えたい。

橋川文三
「狂い死の思想」より

176:名無しさん@3周年
10/03/10 23:08:17 6732s8Nz
私と彼とは文体もちがい、政治思想も逆でしたが、私は彼の動機の純粋性を一回も疑ったことはありません。
(略)最近の彼は、私など好きでなかったかもしれないが、そんなことは一向にかまいません。むしろ、彼に
嫌われるやりかたで、私は、彼を好きのままでいてやりたいと思います。

武田泰淳
週刊現代増刊・三島由紀夫緊急特集号のコメントより

177:名無しさん@3周年
10/03/10 23:08:55 6732s8Nz
三島は高度の知性に恵まれていた。
その三島ともあろう人が、大衆の心を変えようと試みても無駄だということを認識していなかったのだろうか。
…かつて大衆の意識変革に成功した人はひとりもいない。アレキサンドロス大王も、ナポレオンも、仏陀も、
イエスも、ソクラテスも、マルキオンも、その他ぼくの知るかぎりだれひとりとして、それには成功しなかった。
人類の大多数は惰眠を貪っている。あらゆる歴史を通じて眠ってきた…(略)大衆を丸太みたいにあちこちへ
転がしたり、将棋の駒みたいに動かしたり、鞭を当てて激しく興奮させたり、簡単に(特に正義の名を持ち出せば)
殺戮に駆りたてることはできる。しかし、彼らを目ざめさせることはできない。

ヘンリー・ミラー
週刊ポストへの特別寄稿より


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