09/09/16 08:24:48 NAPTEvvV
日銀が元凶であるとする論拠(ちょっと古い本だけど、あえて紹介する)
------
円の支配者 誰が日本経済を崩壊させたのか 2001年刊 リチャード・A・ヴェルナー
まえがき(より抜粋)
★その1★
構造改革論者の急先鋒が、まさに日本のお金を支配している当人たちであるのは偶然ではない。
お金は銀行と中央銀行で創られる。
だが一九九〇年代の大半を通じて、どちらも充分なお金を生み出さなかった。
九〇年代のいつをとっても、中央銀行が信用創造量を増加させれば、景気回復は実現できたはずだ。
日本銀行は資金需要がなかったと主張する。
だが、これは真実ではない。
日本には世界で最大の資金需要がある。
まず政府部門は、財政支出をまかなうために記録的な額のお金を必要としている。
つぎに、日本の主たる使用者である多くの中小企業はお金を借りたがっているはずだ。
だが不良債権の重荷を背負った銀行は、規模が大きくてリスクの低い借り手にしかお金を貸そうとしない。
日銀はよく、すでに充分なお金を経済に注入しているという。
だが、日銀が主としてお金を注ぎ込んだのはごく狭い短期金融市場であり、この市場にアクセスできるのは銀行だけで、企業も政府も手が出せない。
二〇〇一年三月十九日に、日銀はついに政策を転換し、「思いきった(量的)金融緩和」に踏み切ると発表した。
しかし、その声明を注意深く読んでみると、日銀はなんら変わっていないことがよくわかる。
日銀は単に銀行の準備預金(日本銀行当座預金残高)を四兆円から五兆円に増やすと約束しただけだ。
これでは日本経済には何の益もない。
経済にまわるお金の量が増えてこないからである。
日銀はまた、「日本銀行当座預金を円滑に供給するうえで必要と判断される場合には、……長期国債の買い入れを増額する」と述べた。
これもまた、実体のない約束だ。
どこの国の中央銀行でも、「必要と判断される場合には、国債の買い入れを増額」するだろう。
高い失業率を記録してきたこの十年、日銀はいつでも国債買い入れを増やすことができた。
だが不思議なことに、日銀はそれが必要だとは考えなかった。
さらに、いまそれが必要だとも言明していない。
---つづく
755:名無しさん@3周年
09/09/16 08:26:06 177a8hDL
>>747
おはよう
756:名無しさん@3周年
09/09/16 08:28:33 NAPTEvvV
日銀が元凶であるとする論拠(ちょっと古い本だけど、あえて紹介する)
------
円の支配者 誰が日本経済を崩壊させたのか 2001年刊 リチャード・A・ヴェルナー
まえがき(より抜粋)
★その2★
しかも念の入ったことに、声明の終わりに、「政府の強力なリーダーシップの下で」、経済の「痛みの伴う構造改革」を実施すべきだと要求している。
つまり、不況は日銀の政策ではなく経済構造のせいだ、といういつもながらの主張を繰り返して声明を締めくくっているのである。
現実に目覚めようデフレがひろがるにつれて、金融政策が長期不況の原因だと気づく人々が増えてきた。
ふつう、インフレはお金を創りすぎたせいだとされる。
それなら、デフレはお金が足りないためであるはずだ。
事実、物価は実際の成長率と潜在成長率の格差をあらわす関数である。
実際の成長率が潜在成長率よりも低ければ、資源は利用されずに残る。
これが価格引き下げ圧力として働く。
デフレだ。
充分なお金を創り出して実際の成長率を潜在成長率に近づけ、それによってインフレにもデフレにもならないようにするのは、中央銀行の仕事である。
日銀は、デフレは望ましい構造改革のせいであり、だからよいことなのだと反論する。
たしかに構造改革によって、日本経済はさらに生産的になった。
言い換えれば、日本の潜在成長率は上昇し、現実の成長率との格差がさらに開いた。
だからこそ、お金を生み出してデフレ・ギャップを縮小させるという中央銀行の義務はいっそう大きいと言わなければならない。
いっぽう、要するに日銀は無能なのだという主張もよく聞く。
しかし、日銀の指導者たちが日本の窮状も解決策もよくよく理解していることは、歴史が教えている。
信用収縮(クレジット・クランチ)に起因するこれまでの何度かの不況のおり(大戦直後、六〇年代、七〇年代半ばの不況)には、
中央銀行は不況を長引かせることにメリットを感じなかった。
だから、企業部門と政府部門への貸出を増加させた。
現在、中央銀行には過去よりも多くの選択肢がある。
企業が発行するコマーシャル・ペーパー(CP)を購入してもいいし、政府にお金を貸すことも、債券をもっと買うこともできる。
---つづく
757:名無しさん@3周年
09/09/16 08:30:56 NAPTEvvV
日銀が元凶であるとする論拠(ちょっと古い本だけど、あえて紹介する)
------
円の支配者 誰が日本経済を崩壊させたのか 2001年刊 リチャード・A・ヴェルナー
まえがき(より抜粋)
★その3★
不動産を買って公園にしてもかまわないし、単純にもっとお札を印刷して市民に配ったっていい。
どの場合でも購買力が増加して需要が刺激されるだろう。
お金を印刷すれば円安になって、輸出も有利になる。
傲慢な日銀
日本は一九九〇年代を通じて高度成長できたはずだ。
日銀がそう望みさえすれば、である。
しかし、日銀幹部の見方によれば、「大事なことは、一時的な経済成長率の引き上げをめざすのではなく、
腰をすえて構造的課題の解決に取り組むことではないかと思います」
中央銀行は、お金をもっと生み出して長期不況を終わらせてくれという政府の蔵相や首相の呼びかけを拒絶してきた。
それどころか、これから見るように、九〇年代を通じて景気を回復させようとする政府の試みを積極的に妨害してきたのである。
しかも、一九九五年はじめや九七年、九九年の大半のような重要な節目で、日銀は経済に流通するお金の量を減らすことまでした。
これによって、政府の通貨介入政策は効果を失い、円高に振れて景気回復の芽がつぶされた。
日銀の政策のせいで、日本はどこの先進国よりも多額の国家債務を抱えることになった。
九八年まで施行されていた旧日銀法第一条では、中央銀行は政府の政策を支えなければならないと定められていたから、日銀の行動は違法だったことになる。
最後に、本書では不況を長引かせてきた張本人たちが、じつは一九八○年代のバブルを生み出したのと同じ人々であることを明らかにする。
一九九〇年代の大きな謎は、なぜ日銀はもっとお金をつくって景気回復を図らなかったのか、ということだ。
一九九二年、わたしは日銀の客員研究員だったが、おおぜいのスタッフにこの問題を訊いてみた。
ようやく、あるセントラル・バンカーが驚くべき回答を与えてくれた。
「もっとたくさんお金をつくったら、景気は回復するでしょう。
だが、それではなにも変化しないでしょう。
日本の構造問題は解決しないのですよ」。
---つづく
758:名無しさん@3周年
09/09/16 08:31:43 E+hzPPxr
おい小沢!
お前んとこの新人が国会一番のり目指して朝3時から並んだとか
やってたぞ!
どんだけクソなんだよ!くだらねー!
そもそもあんなもん放送すんな!TBS!
ああああ朝から腹立つわい!
759:名無しさん@3周年
09/09/16 08:33:49 NAPTEvvV
日銀が元凶であるとする論拠(ちょっと古い本だけど、あえて紹介する)
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円の支配者 誰が日本経済を崩壊させたのか 2001年刊 リチャード・A・ヴェルナー
まえがき(より抜粋)
★その4★
当時、わたしはこの言葉が信じられなかった。
日銀は経済構造を変革するために、意図的に不況を長引かせているのだろうか?
だが、何年も研究を続けた結果、わたしは彼が真実を語っているのだと結論せざるをえなかった。
日銀は意図的に不況を長引かせただけではない。
そもそも不況を創り出したのも日銀なのだ。
わたしは新日銀法は日本国民のためにならないと確信していた。
だが、法案は通った。
そのために、政府は現在、最も重要な政策である金融政策をコントロールできなくなっている。
政府代表は日銀に立ち入って帳簿を監査したり、適切に運営されているかどうかをチェックすることさえできない。
日銀は法律を超越し、民主的機関を超越している。
景気がよくなるか悪くなるかを決定するのは政府ではなく、日銀だ。
セントラル・バンカーとは何者か?
セントラル・バンカーは目立たずにいるのが上手だ。
誰が日銀の指導者を選ぶのか?
円の支配者。
いずれ、本書のなかで彼について、また彼を選んだ人物について明らかにしよう。
また、日本の不況がこれほど長引いたのは偶然ではないこともわかるはずだ。
政策の誤りが続いたせいではない。
同じようにバブルの生成も偶然ではなかったし、大蔵省へのアメリカの圧力の結果というだけでもなかったことも見ていく。
当時、アメリカが要求したように金利を引き下げ、しかもバブルを回避することは簡単にできたはずだ。
だが円の支配者たちの計画にはバブルが必要だったのである。
背後にうごめく黒い影戦後五十五年間に日本の首相は二十六人を数える。
だが日本の通貨を支配し、したがって経済の核心を握ってきた人たちの数はずっと少ない。
日銀の奥にいるのは、同僚たちから「プリンス」と呼ばれる人たちである。
---つづく
760:名無しさん@3周年
09/09/16 08:35:03 NAPTEvvV
日銀が元凶であるとする論拠(ちょっと古い本だけど、あえて紹介する)
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円の支配者 誰が日本経済を崩壊させたのか 2001年刊 リチャード・A・ヴェルナー
まえがき(より抜粋)
★その5★
黒ずくめで後ろから人形をあやつる文楽の黒衣のように、人に知られることの少ないこれらセントラル・バンカーたちが、
日本の戦後史を画する重大な出来事をかたちづくってきた。
政治家も政府も官僚も、強力な大蔵省さえも、知らず知らずのうちに彼らのマネーゲームに登場する人形になっていたのだった。
大蔵省が戦後日本の経済体制(日銀は大蔵省に対して従属的な地位にあった)を維持しようと心を砕いているとき、
中央銀行は一九二〇年代の日本に広くみられたアメリカ流の自由市場体制を復活させて、大蔵省の手綱から自由になろうと画策していた。
法的には大蔵省のほうが支配的な立場にあったにもかかわらず、中央銀行のもち札のほうが強力だった。
あまり知られていない法律外の信用統制メカニズムを握っていたからだ。
このメカニズムをコントロールする中央銀行のインサイダーには、企業の、産業全体の、そして大きくは経済そのものに対する生殺与奪の権があった。
戦後日本を支配した五人のプリンスたちは、伝統的な金利政策という煙幕の陰に隠れ、誰にも責任を負っていない。
首相にも、蔵相にも、また自分が総裁でなければ日銀総裁にさえも、責任を負う必要はないのだ。
プリンスたちは、大蔵省の強大な法的権力を覆すには大規模な危機しかないと考えた。
大蔵省の責任だと非難が集中するような危機だ。
そこで秘密の日本改造「十年計画」を立案し、一九八六年から実行した。
そのために日銀のプリンスたちは、貸出を大幅に増加せよと銀行に命じた。
中央銀行の厳しい処罰という脅しにあっては、銀行はいやいやながらでもしたがうしかなかった。
あとになってバブル生成の責任を問われたのは、不動産投機家と銀行、大蔵省である。
一九八九年、プリンスたちはバブルが充分に大きくなったと考え、信用統制をきつくした。
トランプの家は崩れ落ちた。
一九九〇年代、プリンスたちは景気回復を図る政府のあらゆる政策を妨害し、一九三〇年代以来という深刻な不況を長引かせる政策を積極的に展開した。
---つづく
761:名無しさん@3周年
09/09/16 08:36:26 NAPTEvvV
★その6★
プリンスは失業の増加も、不況のせいで記録的な高さになった自殺率も意に介さなかった。
彼らの計画はみごとに成果をあげたのだ。
長期不況のおかげで、彼らの目標は十年計画にわずかに二年遅れただけで達成された。
一九九八年、大蔵省は解体されて力を失った。
日銀は独立を果たし、その強大な秘密の権力がついに合法的になった。
ビッグバンと呼ばれた金融改革は日本の経済構造を変質させている。
アメリカ流の経済体制が導入されつつある。
どうすればいいのか
不況は目的達成の役目を終えた。
だからプリンスたちは現在、景気回復に手をつけている。
だが彼らの権力が放置されれば、いつでもまた景気を後退させることができる。
本書をきっかけに、中央銀行の役割に対する幅広い議論が巻き起こり、日銀の過去の政策と意志決定について、
司法関係者を含めた独立した委員会による精査がおこなわれることを願っている。
また、立法府の議員たちには日銀法改正が過ちだったと気づいてほしい。
ただちに日銀法を再改正して、国民から選出された代表者が金融政策の舵とりをおこなうようにすべきなのだ。
そうすれば、日銀がやったように意図的に不況を長引かせたりはしないはずだ。
暫定的な施策として、議会は日銀が達成すべき国内総生産の名目成長率を(たとえば三パーセントというように)設定すべきだろう。
日銀がこの目標成長率を達成できなかったら、日銀のトップ三分の一をクビにする。
この点では、速水総裁の言葉はあたっている。
終身雇用を廃止し、実績にもとつく労働市場を導入する構造改革を日銀で実現すれば、日本の経済成長率は高まる。
一年もたたないうちに、三パーセント成長を達成できるだろう。
プリンスたちは大幅な構造改革を実現し、みずからの法的権限を拡大するために経済を大混乱に陥れた。
だが彼らが仕組んだ構造改革は必ずしも国民の利益にはならない。
アメリカ流の経済体制だけが、経済を成功裏に運営する方法ではない。
公的な議論がつくされ、プリンスたちが公明正大に行動していれば、なくさないですむ多くの長所が日本の経済体制にはあった。
だが、彼らは闇の中で画策した。
二〇〇一年三月、東京リチャード・A・ヴェルナー
762:名無しさん@3周年
09/09/16 08:46:52 yMTtrOaa
日刊ソーレンは毎朝発刊とは限らないのだよ
763:名無しさん@3周年
09/09/16 09:03:39 OkOFYTNc
>>753
法学部といっても「家族法」、
卒業後司法試験に合格まで4年かかっていて
特別に優秀な人ではない証拠でもある。
まあ離婚ビジネス専業弁護士としてはいいんじゃないかな。
764:名無しさん@3周年
09/09/16 09:27:59 ag4xdo7r
>>763
福島の場合、司法試験の受験勉強は東大卒業してから始めてるからな
司法修習は主席で卒業してるのだから、それなりには、優秀だろ
765:名無しさん@3周年
09/09/16 09:50:23 N1Z+bDd5
そんなこといったら、お前、イケメン大村さんだって東大卒だぞ。
勉強出来る=仕事が出来るじゃないってことだ。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
766:名無しさん@3周年
09/09/16 09:54:06 9dDs7eSI
>>748
白木屋のことか
767:名無しさん@3周年
09/09/16 09:58:22 HPzn0ohe
>>748
o(^-^)o・・・ありがとうございます。
768:名無しさん@3周年
09/09/16 10:05:09 5CZ/6Fb0
>>766
学校とかもやってる人じゃないw
769:名無しさん@3周年
09/09/16 10:16:09 OkOFYTNc
瑞穂の「主席で」ってのは諸説あって定説なし。
最初の噂は法学部を主席卒業だった。それはあっけなく否定されて、
URLリンク(detail.chiebukuro.yahoo.co.jp)
その後は司法修習を主席卒業ってことになった。信者も大変ですな。
匿名情報を信じるのも信じないのも信者の自由。
>>福島さん、東大主席、卒業生総代だけど、字くらい かなくぎでもOK。
>
>その話は出所が不明確、証拠が一切無いんですよね。
>
>一つだけいえるのは、彼女は浪人して入学し、司法試験も卒業後数年かけて合格しているという事。
>一方、歴代の首席クラスの生徒は、在学中に国家一種も司法試験も合格しています。
URLリンク(www.inter-edu.com)
>東大法卒の夫の話では、そもそも東大には首席や卒業生総代というものが存在しないそうです。
>全優なら首席だろうと判断できる程度のようです。
>夫は福島さんをよく知っていますが司法試験も何年もかかっていたし
>弁護士としても使いものにならなかったということで、
>気鋭の弁護士でもなかったのではないでしょうか。
URLリンク(www.inter-edu.com)
主席は小沢民だけで十分ですよ。
優秀な連中は在学中に取って卒業と同時に羽ばたくんで
必然的におちこぼれも出てきちゃう。
東大入学から司法試験まで何をしてたのか、
公安は知ってるかもしれないけど表に出てる情報がちょっと薄いすね。
770:名無しさん@3周年
09/09/16 10:46:24 9dDs7eSI
>>768
笑笑のことか
771:名無しさん@3周年
09/09/16 10:49:26 GTheegGV
首_相 鳩山由紀夫 民主・衆⑦ (鳩山G)
戦略相 菅_直人 民主・衆⑩ (菅G)
官_房 平野博文 民主・衆⑤ (鳩山G)
外務相 岡田克也 民主・衆⑦ (無派閥)
財務相 藤井裕久 民主・衆⑦ (小沢G)
総務相 原口一博 民主・衆④ (羽田/小沢G)
厚労相 長妻_昭 民主・衆④ (無派閥)
行刷相 仙谷由人 民主・衆⑥ (前枝G)
法務相 千葉景子 民主・参④ (横路G)
国交相 前原誠司 民主・衆⑥ (前枝G)
環境相 小沢鋭仁 民主・衆⑥ (鳩山G)
防衛相 北澤俊美 民主・参③ (羽田G)
経産相 直嶋正行 民主・参③ (川端G)
農水相 赤松広隆 民主・衆⑦ (横路G)
文科相 川端達夫 民主・衆⑧ (川端G)
公安委 中井_洽 民主・衆⑪ (川端/小沢G)
消費他 福島みずほ 社民・参② (社民)
郵政他 亀井静香 国民・衆⑪ (国新)
戦略相(副総理)=国家戦略室担当大臣(新設)
行刷相=行政刷新会議担当大臣(新設)
消費他=消費者庁・少子化・男女共同参画・食品安全
郵政他=金融・郵政問題担当
幹事長 小沢一郎 民主・衆⑭ (小沢G)
国対委員長 山岡賢次 民主・衆④ (小沢G)
衆院議運委員長 松本剛明 民主・衆③ (野田G)
官房副長官 松野頼久 民主・衆④ (鳩山G)
772:名無しさん@3周年
09/09/16 10:50:35 9dDs7eSI
>>729
ミステリーサークルについてはMI5を使って人がやったということにして混乱を
収拾させているようだ。
学者がよく調べて研究してみるとトンデモナイ代物。
URLリンク(www.h4.dion.ne.jp)
【特徴】
① 短時間で出現する。(近年、通常 約数秒以内(4~5秒)、以前は数分~数
十分、昔は数時間、夜中に出現し朝発見されている。
・ 出現する瞬間を目撃したりビデオ撮影されたという報告が約百件あり、
2~6秒程度で完成している。
② サークル周囲に足跡がない。周囲数百m以内の麦畑に足跡がない。
③ 曲げられた作物は、折れてないため、枯れることがない。根元から柔らかな
彎曲を描いて倒れている。
⇒ 瞬間的なマイクロウエーヴによる発熱で曲がる。 茎にある節が他
の麦より太くなり、、内部にデンシレンジで温められたような空洞が出来ていた。
⇒ 細胞壁の膨張による微小な孔が生じ、細胞レベルで曲げられている
:レーベングッド効果。
⇒ パターンの部分だけが生育速度が異なり、遠方から眺めると形状が
現われる。
・ ハエが麦にしがみ付いたまま死んでいた。
・ 麦畑の麦には異常な組織変化が見られた。
④ 曲げられた小麦は、成長が増進、周辺地域より高品質で収穫が増加する。
・ 曲げられた小麦から収穫した種子を蒔くと、発芽が良く他の麦より
際立って発育が良い。
⑤ 大きさは十数mから百m以上まである。
最大のサークル(2,001.8.12英アルトンパバーン村の銀河「ギャラクシー」)は
、全長235m、409個の円)
⑥ 小麦の背丈が1m位ある為、近くからでは小麦が倒れているようにしか見
えない。丘の上や航空機からでないと、図形や幾何学模様が確認出来ない。
(ナスカ高原の地上絵類似)
773:名無しさん@3周年
09/09/16 10:51:37 9dDs7eSI
⑦ ミステリーサークル上で磁場が変化する場合が多い。 ~ 磁力エネルギー
の渦。 チャクラ。
⇒ ① サークル形状から生じる。② 葉緑体てある液体クリスタルによる影
響。③ その他
・ サークル内では電磁波が確認された。
⑧ サークル内の土壌中の磁鉄鉱微粒子が球状に結晶している場合がある。
⑨ サークル内の土壌中の硝酸塩濃度が倍増している場合がある。
⑩ ミステリーサークル上で放射能が増加したことがあった。(初期の頃)
⑪ サークル内外で、静電気エネルギーレベルに差が生じる。
⇒ サークル内は周囲より数十V高い。
⑫ サークル内で、電子機器が誤動作・停止、電池切れを生ずる。
⇒ サークル外へ出ると、即復旧する。
・ コンパスがぐるぐる回転する場合がある。
⑬ サークル麦刈取後に、サークル上を微妙に移動する発光体が観測される場合がある。
・ 日中撮影した写真や赤外線写真に、“オーブ”(たまゆら)が写っている場合がある。
⑭ サークル内の水の結晶の模様が、サークルの模様と類似する。
⇒ 水が周囲の波動記録・転写する特性が、強力な空間エネルギーによって顕現され易くなる。
⇒ サークルの転写水は、治癒エネルギーレベルが非常に高い。
・ サークル内では、エネルギーを感じる人がいたり、ヒーリング効果があ
ったり、体調を崩す人がいる。
⑮ コンピュータグラフィック的図形が主体。
774:名無しさん@3周年
09/09/16 10:52:29 9dDs7eSI
⑯ 模様の種類は数千以上に及び、近年模様が増々複雑化・進化している。
⇒ カオス理論から生まれたフラクタル図形、トリプルジュリア集合図形、雪
の結晶、天気記号、DNA螺旋構造、デジタル暗号信号、星座、惑星軌道、コン
ピューターチップ、神聖図形等。
⑰ イギリスが主体であるが他国でも出現する。
⇒ ストーンサークル等の古代遺跡の密集地で、波動が微妙・次元・エネル
ギー密度が高く、地球のレイライン上にあり、石灰岩層のマイナスイオンに満たさ
れているため、サークル作製条件に好都合。
・ 他に氷結した湖沼にできるサークル“アイスサークル”や、砂漠に出来
る“サウンドサークル”もある。
⑱ 模様や小麦実の配列等を解析すると、メッセージが読み取れるものが出現
し始めている。
⇒ 生態系破壊・地球存続危機等の警告、人類の神性の顕現。
⑲ 最近、DNAの螺旋構造や複雑な数学の公式等を表したものが出現している。
⑳ 最近、マヤの暦の終末の日(2,012年12月21日)前後における太陽系
の惑星の正確な配列を表しているサークルが出現。
775:名無しさん@3周年
09/09/16 10:54:29 9dDs7eSI
【最近の特徴】
2,006年に各地で出現したサークルの特徴。
① 模様がより緻密化、絶妙化。
② 三次元立体像の出現。
③ 宇宙のシンボル、宇宙パターンの増加
④ 命を象徴したシンボルや芸術的で優雅な模様、更には地球人類の我々の
思考では浮かばないと思われる模様などが増加。
⑤ 予言的シンボルの増加。
⑥ 地球人類の意識レベルの向上につれて、サークルも進化。特に2,008年
後半から顕著。
776:名無しさん@3周年
09/09/16 10:56:43 5CZ/6Fb0
>>769
> >東大法卒の夫の話では、そもそも東大には首席や卒業生総代というものが存在しないそうです。
> >全優なら首席だろうと判断できる程度のようです。
これはウソだなw 少なくとも昭和40年ごろまではちゃんとあった。
週刊現代昭和40年4月8日号に、
「東大首席卒業生200人の現状」
徹底調査
戦後20年間にみるエリートたちの人生模様
という記事がある。そこには「首席卒業生(総代)一覧表(昭22~昭40」が出ている。
たとえば、昭和40年3月卒業生の場合は、
文 樺山 紘一 東大大学院
法 富沢 健夫 電電公社
医 桜井 成子 インターン
工 松尾 公弘 東大大学院
(以下略)
ってな感じだ。この年の答辞学部総代は、文学部から選ばれ、樺山紘一が行った。
いつも問題になるミズポや禿添や白ポッポは、この後の世代で載ってないのが、
残念だ。週刊誌もたまには、こういう企画をやれば売れるんじゃないかなw