09/05/30 11:49:10 2NFd7nNN
>>540
>も別系統の民族と言えることの学術的根拠です。
部族というのは、村社会。村社会の集合が民族。民族の集合社会が国。
曖昧なていぎではあるが、部族というくくりには文化的多様性がほぼ皆無だが、民族にはある。民族をくくるのは、共通認識というだけであるともいえる。
逆に言っちまえば、君の言うように、アイヌ自身がヤマトとは違うと言い続け、そのように私生活を送りさえしていれば別の民族だと言えよう。
ヤマトから見て『あいつらなんか違う』と、最悪差別したくなる心裡がお互いにわきあがれば別民族だろうな。
言語が違えば別のところから発生しているはず、というのは解る。故に血縁的にまったく別なのだ、というのも解る。
だが、使われていないアイヌ語を根拠にされても意味がない。いい? 使ってないんだよ?
博物館でスイッチ押した時、アナウンスが喋るだけなの。
逆に、学校では英語を習っていて街には英語商品があふれかえっている。
頻繁に無意識に英語が口を付くが、それでも日本列島の人間がアングロ人、サクソン人になったわけじゃない。
「学校でアイヌ語を教えるべきだ」なんて言っている時点で、アイヌ語は今や“英語と変わらない”ということ。
その上で使われてもいないアイヌ語を根拠にされてもなぁ。
それは、
嘗て別であった、
であり、
血縁的には乖離している可能性がある、
というだけのこと。
血統的なことにしても、
今のヤマト人が、大和朝廷の支配体制下でアイヌ語から大和言葉にかえたという可能性は普通に論じられていること。つまり、アイヌ人と血でも同じということになる。
支配者が進入してくるとき、被支配者まで連れてきて先住民を一掃するとはかぎらないのは、古代のエジプトの例だけではない。