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>1949年
↓
訂正1649年)
ルネ・フレシェの『アイルランド』(文庫クセジュ)
引用すると、「クロムウェルは到着してひと月も経たずにドロエダを占領し、…
司祭や平信者のカトリック市民ともども総計3500人ほど虐殺した。彼は
当時こう記している。「私はこれが、多くの無辜の血で自分たちの手を染めて
きたあの野蛮人に対する、神の正当な裁きであると確信している」。クロム
ウェルはさらにウェクスフォードも同じような目に合わせ、カトリック聖職
者に戦争責任を負わせる声明を発表した。その中で彼は言っている。「私は
いかなる人間の良心にも介入するつもりはない。だがミサを執り行う自由に
ついては、イングランド議会の権力が及ぶところではそれは与えられること
はないと言っておく必要がある」。クロムウェルは娘婿のアイアトンにこの
国の再征服の仕上げを託し、1650年イギリスに帰国した。クロムウェル
の名は、アイルランドの虐殺者・迫害者として民衆の記憶と詩人の哀歌のなかに残った。」
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