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>エベネゼル・プラットの返信は1647年7月12日付けだった:
>「財政的援助を行うつもりだ。チャールズが除去されユダヤ人入国が認められ次第。暗殺は危険
>すぎる。チャールズに逃亡の機会を与えるべきである。彼の再逮捕が、ひいては裁判と排除を可
>能にするだろう。その支持者達は寛大だろうが、裁判が始まるまでの条件を論ずることができなくなる
>プラットとクロムウェルとの間のそのやりとりは、実際の出来事に正確に映し出されている。
>チャールズは、再逮捕され、彼と議会が彼を助命するだろうひとつの合意に近づいたその時、
>クロムウェルは、いまや英国護民官になっていたが、合意を支持するすべての議会メンバーを
>解任した。歴史はその残ったものを「残党議会」と呼んでいる。
>別の新たな裁判がクロムウェルによって命令された。アムステルダムの彼の銀行家達との合意
>は、チャールズは処刑されるというものだったので。
>「チャールズに対する起訴状は、アイザック・ドリスラウス[1595-1649]によって起草された。
>彼は、クロムウエルの「革命」に対するアムステルダムからの主たる資金供給者の一人である
>マナセ・ベン・イスラエル[1604-1657]の英国におけるエージェントだった。
>その「裁判」の結果は、チャールズの公開断頭処刑であり、クロムウェルによる英国へのユ
>ダヤ人の帰還許可がこれに続いた。
>1661年のクロムウェルの死後、彼の信奉者であった多くのカルビン派ピューリタンはアメリ
>カを目指した。チャールズ2世[1630-1685]下の王制復古に引き続く「宗教的迫害」を逃れる
>ために。
。これらは、宗教的狂信者たちであり、「神」の旗印の下に、アメリカ原住民を大量虐殺した。
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