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サン・クレア家は当然のことながら王党派であり、1650年
にロスリン城は完膚なきまでに破壊されたのですが、なぜか、ロ
スリン礼拝堂には手を付けていないのです。それは、ロスリン礼
拝堂がカトリック教会でない証拠であり、クロムウェル自身が高
位のメーソンリーであったからといわれているのです。
URLリンク(intec-j.seesaa.net)
URLリンク(satehate.exblog.jp)(抜粋)
>カルビン主義は、君主制への騒乱を醸成するために用いられた。続いてフリーメーソン
>でカルビン主義者のオリバー・クロムウェル[1599-1658]が登場した
>。彼は、その英国の「内戦」において彼の円頭派が王党派と対決するように操作された
>もうひとつの紛争において役目を果たした。
>1921年9月3日の、アルフレッド・ダグラス卿による「Plain English」と呼ばれる出版
>物は、チャールズ一世殺害の背後にうごめく計画に関連した通信文の内容を提示している。
>オリバー・クロムウェルからエベネゼル・プラットに宛ての、1647年6月6日の記録(手紙)
>は述べている(現代語で):
>「財政支援と引き換えに、ユダヤ人がイングランドに入国する許可を提唱するつもりだ;
>これは、しかし、チャールズが生きている間は不可能である
>チャールズを裁判なしで処刑することはできないし、現時点では処刑のための十分な根拠が
>存在しない。それゆえ、チャールズの暗殺を勧める。しかし暗殺者を用意することに関わる
>気はない。彼の逃走を助けることには同意であるが。